自分自身/自己物語を開くということ

今日は面接だった。
滞りなく終わり、話も盛り上がったと思う。
ぼくと話していて事前に先方が想定していたよりもイメージが膨らんだのか、より多くの仕事をもらえそうな予感。楽しみ、ワクワクする。
仕事をはじめる日程も今日の面接を通じて、8月21日の週からと決めた。

面接中、責任者の方に言われた。
「やそらさんのキャラクターやピアという部分もあって、利用者の人たちもいろいろと話しやすいと思うんですよね」

「ピア」か~~。この場合のピアとは、精神障害や精神疾患で苦しんだことがある人たち同士というような意味合いがある。

自分もついに「ピアスタッフ」か~~。去年の7月の大学院ゼミでの報告の副題が「ピアスタッフになれないぼくの当事者研究」だったのが遠い昔のようだ。

12月のぼくの自己物語を聴いた人の中には、「希望を感じずにはいられなかった」と感想を寄せてくれた人がいた。6月に福岡の精神保健医療福祉の現場に見学している際、ある利用者さんと話が盛り上がり、自分が精神科ユーザーだった経験を話した際は、「やそらさんは、いつから自分が精神病だと自覚しましたか?」とか質問されたのがヤケに印象に残っている。

「ピア」「希望(=リカバリー)」「精神病」、みんな=他者は、あちらの物差しで好き勝手にぼくのことを見てくる。それはぼくもしていることだから、お互い様なのだけれども。

自分は5年以上前に書いた文章の中でこのように述べている。

「今まで『語ることのできる主体』によって、自らの歩んできた人生の『価値』や経験の意味を一方的に価値判断され、『もの言わぬ他者』として規定されてきた当事者研究者は、『当事者研究』の実践を通して、『もうこれ以上、社会的価値観に基づいて、一方的に自分のことを解釈させないぞ』という“決意”と共に、『自ら新たな物語を生み出していく存在』(中村 2011 : 225)」になるのである。

社会や他者が前提したり規定したりする「価値観」によって、自分の生は踏みにじられた。蹂躙された。木端微塵にされた。そんな自分にとって、「自己定義権」を死守することは、ひとつの命綱であり生命線だった。

そんな切迫したこころもちで必死に「自己物語」を組み立て、とっちらかった、拡散した自分自身を立て直したり、再統合するために悪戦苦闘していた当時の自分にとって、以下のようなハンナ・アーレントの主張は到底聞き入れることができないものだった。

「なるほど、だれでも、活動と言論を通じて自分を人間世界の中に挿入し、それによってその生涯を始める。にもかかわらず、だれ一人として、自分自身の生涯の物語の作者あるいは生産者ではない。いいかえると、活動と言論の結果である物語は、行為者を暴露するが、この行為者は作者でも生産者でもない。言論と活動を始める人は、たしかに、言葉の二重の意味で、すなわち活動者であり受難者であるという意味で、物語の主体ではあるが、物語の作者ではない」(ハンナ・アーレント 『人間の条件』299頁)。

当時のぼくは自分自身の物語や「自己物語」に関して特権的な地位を持つ〈物語の作者〉でありたいと切望していた。他者の評価に苦しみ傷ついた自分にとって、〈物語の作者〉という地位を固持することは、「自己定義権」を100%自分自身が保有するのだ…!というそういう気分のなせる業だったと思う。それはそのまま、上野千鶴子や中西正司が宣言した「当事者主権」の気分そのものだと言い換えても差しさわりないと思う。

深く傷ついていたぼくは、信頼できる人間以外からぼくに向けられる「まなざし」や「ものさし」にとても敏感になっていた。そうやって、深く傷つき、過敏になっている分だけ専門家批判は先鋭化し多くの他者を遠ざけた。

けど、12月の報告の時に「希望を感じずにはいられなかった」と言われてからだと思う。他者とはこちらが制御不能な自律した存在だ。だから、「他者からぼく自身がどう見えるか」なんてことも、どんなにこちらが念押ししてもコントロールはできない。人は自分の人生の文脈に基づき、目の前の存在やモノについて、どこにアクセントを置いて「見る」かを決める生き物だ。

そう思えてから、ぼくは今まで絶対に手放さないと決めていた「自己定義権」を少しずつ手放していくようになったし、自分自身の〈物語の作者〉という特権的な地位からも徐々に降りていくようになっていったと思う。

それは自分自身の闘争的な気分の寛解と完全に連動していた。

「他者から自分がどう見えるかは操作も制御もできない」

そう思えて、すこし気が軽くなったような気がする。

だったら、他者からぼくに対するフィードバックを適宜取捨選択していけばよい。ポジティヴなフィードバックもあるし、もちろんネガティヴなフィードバックだってある。それをうけて、ぼくは一つひとつ吟味したりしなかったり、とりあえず受け取って、掌の上にのっけてしげしげ眺めてみたり、その作業に飽きたり、一度放置しようと思ったら棚の上にでも置いておけばよい。どうしても気に入らなければ、生ごみや不燃ごみ、粗大ごみとして捨ててしまえばよい。

自分自身が、100%「自己定義権」を固持しようとするのであれば、そのヒトは社会的存在として生きることを断念した方が生きやすいだろう。人は常に関係の中で生きていて、どうしたって影響し合ってしまう生き物だから。

半年前までだったら、「ピア」とか言われたらもっとモヤっていただろう。
「精神病」なんて言われたら、いや別に病気じゃないです、家庭環境が悪すぎただけで、身近な関係性や根を張る土がナウシカじゃないけど、腐海だっただけというか…笑。とか早口でまくしたてていたかもしれない。

今はいちいちそんな風に頑なになる自分はいない。
他者には他者のモノの見方があるし、生きてきた文脈がある。それを尊重すること、そこからしか本来的なコミュニケーションはないのではないか。

納得がいかなかったり、なんでそう見えるのかわからないのであれば直接その人に尋ねればよい。

そんな風に思えるようになった分だけ、肩の力も抜けた。
「自己定義権」のために無闇に闘う必要はない。
闘いは必要に応じて展開すれば、それで事足りるのだ。

自分自身も自己物語も、さまざまな形で発信していくなかで、どんどん開いていけばよい。最近はそんな風に考えている。そうやって生きていく。

アーレントの表現を借りるなら、ぼくは今後もぼく自身の物語の主体として生きていくし、活動と言論を通じて自分自身をたくさん暴露していけばよいのだ。

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