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人命無視の官僚 間違えない警察は要らない 無謬を警察に求める世間が悪い 水商売 謝罪

1、人命無視の官僚
国会で人命軽視の与党と官僚は、サタン側の虐殺を知っているから、人命は何の意味がないと判っているため人命無視の言動をするようになる。
真心から人々に危険を知らせるために意図的にバラしているのか、それとも単純に隠すのがヘタなのか、それともサタン側がヒントを与えるために人命無視の態度を命令しているのか、ヒントを与えるために人命無視の人間を出世させているのか、特に考えなしで気に入った人間を出世させているのか。

2、間違えない警察は要らない
エヴァとアダムが食べてはいけないと命じた木から食べた時に、神は問答無用で懲罰しないで、反省をうながしていた。
つまり、神は、間違えない人間が欲しいのではなく、間違えたら反省する人間が欲しいのである。
警察や公的機関は、間違えないより、間違えたら反省する方がいい。
しかし、サタン側は神に背くのが目的だから、サタン側の支配下にある国家や公的機関を「無謬性」というモノで縛り付けて、間違えない事を要求する。
無謬性とは、間違えない、という意味。
だから、警察は間違えない事を絶対視して、間違えたら反省する事を全くしなくなる。どうしても隠し切れなくなると白状する。
ストーカー扱いで警察は犯罪を誘発して間違えても反省しない。
世間は、加害者を悪いと言っていて、警察が悪いと言わないから、このまま突き進むつもりだろう。
現場の人間がまじめでも、上層部がサタン側の支配下だから、上層部の不祥事で現場の人間が割を食う。
無謬性という誰が考えたか判らない実現が不可能な考え方で警察を縛るから、警察がおかしな事になる。
世間が警察に無謬性を要求するから、警察がおかしくなる。
最終的には、警察の間違いを赦さない世間が悪い。
警察が間違っても反省したら赦せば、キチンの間違いを認めて謝罪するようになる。

罪を犯さない者は存在しないと聖書に書いてあるから、誰でも間違う前提でモノを考えるのが、正しい考え方である。

列王記上 8:46
もし彼らがあなたに向かって罪を犯し、――罪を犯さない者は一人もいません――あなたが怒って彼らを敵の手に渡し、遠くあるいは近くの敵地に捕虜として引いて行かれたときに、
歴代誌下 6:36
もし彼らがあなたに向かって罪を犯し、――罪を犯さない者は一人もいません――あなたが怒って彼らを敵の手に渡し、遠くあるいは近くの地に捕虜として引いて行かれたときに、
コヘレトの言葉 7:20
善のみ行って罪を犯さないような人間は/この地上にはいない。

聖書で、罪を犯さない者は居ないと書いているのだから、世間が警察に間違えない事を要求するのが悪い。
間違えても許して、間違いを反省しない事を糾弾すれば良いだけ。人々は自分が誤認逮捕されない事だけ考えているから、警察がおかしくなる。
自分への加害は赦すけど、加害を反省しなければ糾弾する。

聖書では、「自分への加害は赦しなさい」と書いてあるけど、「加害を反省しない人を赦しなさい」とは書いていない。
聖書は「自分の罪を反省しなさい」と何度も出てくる。
自分の罪を反省しない者は、神の教えを携えていないから、挨拶してはならないし、受け入れてもならない。

この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

ヨハネの手紙二 1:10

加害を反省しない人間は、神の教えを携えていないから追放すべき。
反省しない時だけ追放したらいい。

無謬性は、本当に間違えていないかどうかを確認する方法はない。
間違っているけど、隠ぺいしている危険性もある。
「〇〇という人が悪いとしておけば丸く収まるからそうしよう」という考え方をしている危険性がある。

3、無謬を警察に求める世間が悪い
前から何回も言っているけど、一人一人の悪心が全ての悪行の原因だ。
警察に間違えない事(無謬)を要求する世間の一人一人の悪心が悪い。
神は罪のない者は居ないと言っているから、他人に罪を犯さない事を要求するのは悪行である。
だから、世間の一人一人は悪行をしている。
いくら現場の警察官がまじめでも、上の権力者の世間がこれでは、どうしようもない。

この世の命令系統は、神、人、サタン、サタンの手下、表の操り人形の権力者、という順番になっている。
神は間違えないから、人の悪心が原因である。
人の悪心をサタンが読んで、サタンは手下に悪行の実行を命令して、手下は操り人形の権力者に実行させる。
世間の一人一人の悪心が全ての悪行の原因である。
世間の一人一人が神に対して背いた悪行を忘れたい悪心がある。
世間の一人一人が他人の間違いを赦さない悪心を持っているから、権力者は無謬性を制度に組み込む。
聖書で神は「自分への加害を赦しなさい」と言っているのだから、その教えに逆らう「間違いを赦さない」考え方は悪心である。

無謬性を要求するのは、かなり危険な考え方である。
間違いを赦されないと、人々は3種類に分かれる。何も挑戦しない、失敗したら隠ぺいする、悪行と判っていて強行しようとする、この3種類になるから、なにもいい事がない。

他人の間違いを赦さないからといって、自分が間違いをしていない根拠にはならない。

諸悪の根源の人々の悪心が人命を無視するから、表の操り人形の権力者や官僚も人命を無視する。

自分の悪心も含めて、全員の悪心が最大の悪なのだから、最大の悪を糾弾しなければ全ての悪行はなくならない。
「まずは身近な悪から」とか言い逃れをして、巨悪を咎めない臆病者が多い。身近な悪から潰すなら、自分の悪心から潰せ。

大衆自身が人命無視だから、サタン側は神の信者が殺されないように人命主義と人権を憲法や思想界やマスコミに盛り込む。
神の信者が殺されると、神が怒って、この世を滅ぼして、サタン側を地獄へ落として、最後の裁きを前倒しにして焼き続けるか魂を消す。

4、水商売
水商売のトラブルの殺人事件について。
ストーカーなら、被害者の方に仕事を辞めさせてシェルターへ入れるべきだった。
被害者が相手をストーカー扱いしても、被害者が仕事を頑なに辞めないというなら、ストーカーで立件してはいけなかった。加害者を激昂させた不手際である。
加害者を激昂させる行為だと被害者に生前に警告しなかったのだろうか。
もしくは、忠告に従わない被害者の自己中な言い分に、警察も呆れて殺されても知らんという感じで立件したのか。
自己中は、どの道、破滅する。
警察は治安を守るための存在であって、特定の個人にとって不都合な相手を潰すための道具ではない。

そもそも、ストーカーは全く交際の実績がない場合をいうから、それなりに付き合いがあるなら、痴情の縺れだから、もう少し慎重に対応すべきだった。厳重注意などに留める事はできなかったのだろうか。
被害者は、嫌なら金を受け取らなければいいのに、金は取るけど排除したら、相手の性格によっては激昂する。そういう対応で諦める人も居るから、その成功体験をそのまま何の考えもなく続けてしまったのか。

被害者も加害者も、相手が悪ければ自分はどれだけ悪行をしてもいいと思い違いをしている。
似た者が集まりやすい。

前にも書いたけど、ゴールドラッシュと同じで、掘る人ではなく道具を売る人が儲かった。
水商売も、する人ではなく、させる人が儲かる。
被害者も加害者も両方とも「させる人」に搾取されているようにしか見えない。ここをキチンと指摘しない人は、本質が何も見えていない。

「させる人」はアウトローが多い。
アウトローを悪いと糾弾するのが怖いから、加害者か被害者のどちらかが悪いと言うか、両方が悪いと言う臆病者が多い。
アウトローすら批判できないなら、自分自身の悪心は批判できないし、サタンの手下の闇の勢力や、表の操り人形の権力者を批判する勇気もない。

社会の仕組みが判らない知能だと、どの道、何らかの破滅に陥る。
せめて道徳的な生き方をしたら、破滅しなくて済む。
知能と道徳のどちらも身に付けないのでは、破滅するに決まっている。
それが今回の殺人事件で目に見えて判る形になったから騒がれているだけである。知能と道徳のどちらもない人間が破滅するなんて、いくらでも起きるけど、あまり目立たず地味に落ちぶれて潰れるから知られないだけ。

知能がない無能ではなくて、知能を身に付けようとしないのが問題だ。
知能を習得する努力をしたら、自分の知能では、知能だけで世の中を渡っていくのは不可能だと判って、道徳を習得するようになる。

サタン側が、不都合な人間の強気な発言を放置するのは、人々が強気な発言を嫌がって遠ざかるからだ。
しかし、地獄へ落ちる悪行に対しては、強気で警告する必要がある。
なぜなら、神が警告しなさいと命じているからだ。
人心を考えたら、強気一辺倒ではダメだけど、俺は神から警告しなさいと命じられているだけだから、あまり人心は考えないで警告する。
人心を考えると警告できなくなるから、神は人心を考えなくていいから警告しろと言っているのだろう。

5、3分で退職について謝罪
補足。
前に「店を経営する気がないなら3分で退職しても構わないのだろうけど」と書いたけど、店の経営というのは会社の経営とか出世に興味がなかったらという意味もある。
一生、平でもいいとか、そういう人ならさっさと退職しても自分の人生だから、そういう待遇の覚悟で退職する事だ。
説明不足で誤導しそうだったから謝罪する、申し訳ありませんでした。

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