見出し画像

背教者は神の話を聞かないから人間の話も聞かない 暴露抑止力 人間の思考の習性 サイコパスの必要性

1、双方性はない
双方性がどうとかという話を聞いたから、思いついた。
動画投稿もテレビも一方的。
動画投稿でコメントできると言っても、コメントは排除できるし、見えないようにも出来る。
本当の双方向なんて、人間の裁判でも不可能だ。
アメリカは、司法が買収されている。
武力闘争ぐらいしか、双方性はない。
そもそも、背教集団に人の話を聞く選択肢は存在しない。
背教者は神の話に逆らうのに、何で人間の話は聞くと思うのか。
話し合いは、天の主に敬虔な信者同士だけで成立する。

2、話し合いの場は何なのか
今、背教者たちの間で、話し合いが為されているように見えるのは、何なのか。
それは、武力闘争の結果としてのルールで話し合っているだけ。
武力闘争に懲りてなくて、妥協の産物で住み分けしている。
要するに、戦って一か八かより、妥協で利害を調整している。
背教者を抑制しようと思ったら、利益で釣るか、暴力で脅すぐらいしか方法が無い。
背教者は暴力に屈する。
背教者は暴力に服従するというのを直接的に聖書に書かないで、信者は迫害されて一人前と書いているのだろう。
俺の解釈だけど、信者は迫害に不服従で、背教者は迫害に服従するという意味だろう。
聖書を読むと、聖書で何が言いたいのか直ぐ判る。
背教者は自分自身が暴力に屈するから、他人も暴力に屈すると考えて、すぐ暴力を使う。
テレビは自分自身が誹謗中傷に屈するから、直ぐ誹謗中傷をする。
神を信じる人に暴力を使って迫害しても抵抗するし、金で釣っても応じない。

背教者同士の話し合いは、話し合いというより、妥協点を探っているだけ。
背教者同士の妥協点が良い感じでバランスが取れて、妥協の結果の社会制度が作られて、敬虔な信者が暮らしていける社会になる。
人が立てた制度に従えと聖書に書いてあるのも、これが理由。

主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。

ペトロの手紙1 2章3節 新共同訳

3、聖書的ディストピア
聖書的ディストピアの定義は、神に背く誘惑が多い世界の事。
今の日本みたいなものだな。
今の世界みたいなものだな。
背教者にとってのディストピアではない。
むしろ、今の日本や世界は、背教者にとってはユートピアになっているではないだろうか。
偶像崇拝や悪魔崇拝が蔓延していて、しかも気付かずに参拝とか消費をしている。
「背教者にとってのディストピア」とは、娯楽もなく、結婚も許されずに、管理される社会とか、そういうのを思い描いているだろうな。
根本的にずれている。
これからの社会も、管理社会ではなく、聖書的ディストピアみたいになって、偶像崇拝や悪魔崇拝の享楽が蔓延する社会が続くと思うけど。
管理社会なんて暗黒時代の恐怖を見せるのも、実際に計画されているのは聖書的ディストピアであり、背教者を拍子抜けさせて警戒心を抱かせないためのサタンの罠だろう。
よく、動画投稿でも、こんな管理社会が来るとか脅し付けているけど、ただの見せかけであり、背教者の警戒心を剥ぎ取る策略だな。
そういう管理社会の動画は、球体地球や銀河宇宙をセットに出すから、こういう社会は計画していないという明確なヒントになっている。
地球は存在しないのだから、その地球と一緒に出している管理社会の計画は、計画していない管理社会である。
別のタイプの管理社会を隠すための囮かもしれないけど。

4、権利の獲得も罠
武力闘争による妥協点と権利の獲得ですら、サタンの罠かもしれない。
実際、権利の獲得をして手に入れたのは、偶像崇拝とかの享楽や消費だからだ。
自分の力で勝ち取ったから正しいものだと騙すには丁度いいのだろう。
無条件で与えられると、人間は警戒するから、わざと戦った振りをして、まるで自力で勝ち取ったと勘違いさせる。
命を懸けて精神をすり減らして勝ち取ったと思ったら、ただの毒を盛られたゴミでした、というのが背教者の人生である。
戦って獲得したのもサタンの罠だから、自分の力で得たと思ってはいけない、と聖書に書いてある。

あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない

申命記 8章17節 新共同訳

5、無条件でも自力でも
実際、無条件で毎年1000万円をあげるから好きに使って良いよ、なんて言われたら、警戒心が最大限に跳ね上がるだろう。
(何を企んでいるんだコイツ)と思うだろう。
背教者は、努力せず大金が欲しいと思っているけど、実際に無条件で大金を貰うと疑ってかかる。
なぜ、望み通りなのに疑うのか。
それは、背教者は認知がゆがんでいるからだ。
これが敬虔な信者なら、神の恵みだと感謝するし、いきなり打ち切られても、神の試練と自分を戒めるから、金銭感覚が狂うことは無い。
背教者だと疑ってかかるし、打ち切られると金銭感覚が狂った後だから戻らなくなる。宝くじが当たった人間みたいに。
宝くじは、どれだけ人々が精神的におかしいかを実験しているのかもしれないな。

6、最近の性
聖書で書いてあるのは次の通り。
男同士の性交だけが禁止。
男同士の結婚は書いてない。
女同士の性交は書いてない。
女同士の結婚は書いてない。
トランスは書いてない。
バイは、男同士の性交は禁止、女同士の性交は書いてない。
聖書を読んだことが無い人は、偽装キリスト教団のデマを真に受ける。

7、戦争がナアナア
戦争がナアナアで終わるのは、背教組織同士で人々を草刈り場として奪い合っているからだ。
もし、相手の背教組織を亡ぼすような攻撃をすると、4000年の真実を暴露されてしまう。
暴露されたら、人々が覚醒して、天の主に気付き、人々を騙して搾取するという事が出来なくなる。
だから、互いに戦争がナアナアで終わる。
誰かをスケープゴートにする事は有るけど、ただのガス抜きであり、負けた側の中間管理職に対する脅しである。
多分、市販の世界地図に書いてない、本当の円盤状の世界地図の別の大陸に移住してると思う。
負けても移住して余生を過ごせるから、軽々しく戦争をするのだろう。
背教組織同士の戦争は、必ずナアナアで終わる。
敗者が真実を暴露されたら、勝者側の草刈り場の人々まで目覚めてしまうからな。
核抑止など存在せず、暴露抑止力でしかない。
暴露したところで失うものが無い国や、発信力のある国が、暴露抑止力を保有していて、表向きは核抑止という事にしている。
暴露すると互いの大衆が目覚めて金を騙し取れなくなる。だから、暴露抑止力なのである。
金目当てで情報発信をしている人間だと、ここまで踏み込んで情報発信は出来ないだろう。
自分の金儲けまで出来なくなるからだ。

8、破壊しない
遊牧民の戦争は、草原を汚染しない。
汚染したら、自分の食い扶持が無くなるからだ。
日本の戦国時代では、敵の治水設備は破壊しない。
破壊してしまうと、占領した時に稲作が出来ないからだ。
また、破壊合戦で応酬になると、農業が破綻するからだ。
だから、真実の暴露もしない。
暴露すると、大衆を洗脳できなくなって、搾取できなくなるからだ。
もし、真実の暴露をする時は、助命を許されない破れかぶれの時だけ。
死刑や自殺になっているように見えて、実際はどこか、市販の世界地図に書かれていない、フラットアースの陸地へ行っているだけだろう。
核は存在せず、核抑止は無く、本当は真実を暴露されるのを恐れる抑止力である。

9、潜在意識
潜在意識が人間の思考の9割を決めると言われている。
顕在意識で考えたことが将来に渡って潜在意識を占める。
潜在意識に占める価値観が顕在意識を支配する。
金儲けを目当てにして情報発信をしてると、暴露抑止力という考え方に踏み込めない。
なぜなら、自分の金儲けまで悪影響がありそうと無意識が感じて抑圧しようとするからだ。
顕在意識で金儲けをしようと思ってしまうと、将来に渡って金儲けをするために、金儲けの邪魔になる事を考えないように、潜在意識が顕在意識を押さえつけてしまう。
自分が9人妨害しに来ていると思えば判りやすい。
後になってから考え方を変えようと思っても、なかなか変えられない。
顕在意識で考えたことは、潜在意識に占めるまで、何か月ぐらいは掛かる。
変えようとする場合も、同じぐらいは掛かる。

10、聖書を読んだと
聖書を読んだと言いながら、なんだか読めていなさそうな感じがする人が存在するのは、信じない状態で読んでいるから、1割しか読めてないのだろう。
金儲け目当てで読んでたら、本来の意味で1回読めるまでに、10回は読む必要がある。
全ての人を救いたいのが神の意志なのに、全ての人が検証できない方法を提示するのも、金目当てで聖書を読んでいるから、神の意志に背いたやり方をする。
こういうのを昔から、論語読みの論語知らずという。
聖書読みの聖書知らず。

11、人間の思考の習性
全ての人は、過去の成功体験を繰り返したくて、今の言動を決めている。
そのため、目の前の出来事だけで判断しない。
金儲けをするという目的で動いて、金儲けが成功すると、それが成功体験となって、、同じ行動を繰り返すようになる。
未来志向で動いているように見えても、実際は過去の積み重ねで、未来志向で動いたら上手くいった成功体験が続くと、目の前の出来事をいつも未来志向で動くようになる。
金儲けで動いて成功体験が続くと、常に金儲けが目的で目の前の出来事に対応し続けるようになる。
サタン側も、人間の習性が判っているから、背教的な言動で上手くいったという成功体験を与え続けて、人間の思考を背教に染め上げる。
だから、サタンの罠に落ちないためにも、普段から言葉と考えに気を付けて暮らす必要がある。

12、未来志向はない
後ろ向きとか、未来志向とか、人間の思考にそんな区分はない。
過去の積み重ねで、どちらの方が上手くいったかによって、後ろ向きか、未来志向か、思考回路が決まる。
過去に上手くいった方法を繰り返すのが人間だ。
後ろ向きで上手くいったなら、後ろ向きを続ける。
前向きで上手くいったなら、前向きを続ける。
未来志向で上手くいったなら、未来志向を続ける。
目の前の出来事は一割しか思考力を使っていない。
思考力の九割は、過去の成功体験に基づいて無意識に使っている。
だから、全ての人は、過去の成功体験を繰り返したくて、今の言動を決めている。

13、今の自分が冷静と
今の自分が冷静に判断していると思ってはいけない。
過去の顕在意識が決めたことが積み重なって、今の自分の思考と言動を決めている。
自分の無意識が思考の九割を決めている。
過去の成功体験が思考の九割を決めている。
下手すると、自分の意識である自我で、自分の言動と思考を決められるのは、1%しかないかもしれない。
残りの99%は、過去の成功体験と、無意識の思考で、動かされているかもしれない。
聖書を毎日、少しでも読めば、おかしな思考にはならない。

14、迫害は習い性になって危ない
全員が全員、迫害されて使徒ステファノみたいに不服従で無抵抗かというと、そういうわけではない。
一度でも迫害で人を殺すと、その人民裁判が習い性になって、次々と迫害をやって、反撃する人が現れて、そこから戦争になる。
戦争になるのが判っていても、一度でも迫害をやりだすと止まらなくなる。
そこで、人々は、人権とか法治とか色々と考えて、秩序の有る社会制度を立てた。
これが人の立てた制度に従え、と聖書に書いてある意味だ。

15、多分サイコパス
ここで、迫害に反撃する人は、多分サイコパスなんだろう。
前に書いたけど、サイコパスは、無条件で天国へ入れる
では、サイコパスを神が用意したのは、何のためか。
それは、迫害する人々に天罰を下すためである。
サイコパスによる反撃から、戦争状態へ突入して、人々を戦争で懲罰するために、神が用意したのがサイコパスである。
戦争は背教者に対する神の天罰である。
つまり、迫害する人々は、地上では戦争で苦しむし、死んだ後も地獄へ落ちるという、そういうのを神は用意する。
使徒ステファノは迫害者を許してあげてと神に言ったけど、神は普通に迫害者たちに天罰を下すという判決なんだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?