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「病は気から」は半分不正解

カウンセリングを始めるまでは、この「病は気から」というコトバは私にとってとてもつらい言葉でした。

子供の頃は病弱で、毎週何かしらで病院通いをしていましたが成長するに連れて、ちょっと具合が悪くなっても「それくらいなら大丈夫。学校に行きなさい」と言われるようになりました。

確かにあの頃は学校でいじめを受けていたこともあり、それで学校に行きたくない自分の中で「具合が悪い」と思い込んでいた部分もあったと、今では思えます。
ですが実際に気分が悪かったり、吐き気がしたり、お腹が痛かったのも事実です。
でも熱を測ると平熱だったため、上記のような言われ方をしたんでしょう。

この頃辺りから「病は気から」というコトバを親とか先生から言われ始めた、と記憶しています。

オトナになってからは逆に多少の体調不良で仕事を休むなんてとんでもない、という昭和の典型みたいな人間になっていました。
アダルトチルドレンの特徴である「他者承認を以って自己承認の埋め合わせをする」ところから、仕事をすること、成績を上げる事、それによって上司から認められることが至上命題だったからだと思います。(ただあの頃は、そんなココロの動きなど知る由もなく、ひたすら働く事のみでした)

その後に体調を崩し、うつ病となり、働くどころか日常生活すらまともに送れなくなり、カウンセリングの勉強を始めた頃に改めて「病は気から」というコトバと向き合うことになります。

ココロとカラダは表裏一体です。
カラダは思い切り元気なんだけどココロはどん底、という人ってあまりいないはずです。
その逆、という人もあまり見かけないと思います。
カラダとココロ、そのどちらかが落ちていくともう一方も引きずられるように落ちていきます。

一方で普段から健康に気を遣っている人でも病気になることはありますし、逆に不摂生ばかりしている人でも病気にならない人もいるわけです。

例えば普段から喫煙をしている人、お酒を呑んでいる人でも肺がんや肝臓がんなどにならない人もいますし、お酒も煙草もやらない人でも、がんになる人がいる。
結果論になってしまいますが、あくまでも罹患率が上がるとか下がる要因としてそれらの行為が挙げられているだけで、実際に病気になってしまう人とそうでない人に分かれるわけですし、そうなるとその罹患率のパーセンテージは何の意味もなくなってしまうのではないでしょうか。

そう考えると、普段から摂生している人にとってそれがストレスになっていては意味がないし、逆に不摂生な人にとってそれが楽しみとか、ストレス発散になっていればそれだけで免疫が上がるのかも知れない、と考えるようになりました。
この辺りは学者先生に調べてもらいたいところです。

偏った考え方になるかも知れませんけど、私はこのように考えるようになってから「病は気から」というコトバは半分だけ正解なのかな、と考えるようになりました。

もちろん、健康に気を遣っている方々の日々の努力を否定するものではありませんし、不摂生を奨励するわけでもありません。
日頃から運動を日課にしている人は、高齢になっても身体能力を維持出来るので、ちょっと病気になったとしてもそのまま動けなくなって、いきなり寝たきりになってしまう人は少ない、と思います。(今の母親の姿を観ると、そのことを痛感します)

自分の信じた道を進むことは大切ですし、それが結果として後悔を少なくしてくれることも事実です。
ただ一概に「病は気から」というコトバを妄信してしまうのも考えモノだな、と思うわけです。

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