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頑張り過ぎに気付く

秋もだいぶ深まって来て、街の中でもそこここの木々の葉が少しづつ色付いて来ています。
生きづらさを抱えているアダルトチルドレンの方って、こういう「変化」に鈍感になっていることが多かったりします。

それは常に「頑張らなくちゃ」という「無意識の思い込み」があるからです。
頑張らなくちゃ、もっとやらなくちゃ、とばかり考えてしまい、周囲に目が向いていないんですね。

私が過去、うつ病からの回復期にこんな経験をしました。

医師からも「日中の時間帯で散歩でもするようにして、運動をしなさい」と言われていたため、近所を歩くようにしました。

毎日歩いていた道なのに、電柱に掲げてある広告を見て「こんなお店があったんだ」とか、ここのお宅の花壇はきれいに咲いてるな、とか、いつも見ていた風景なはずなのに、それまで見ていなかったものが多かったことに気付きました。

いかにそれまでの自分に「周りを見る余裕が無かったか」ということに改めて気付けたんですね。
そしてそれは「そういうココロの余裕が無くなるほど、毎日自分に無理をさせていた」という答えを導き出しました。

私は自分が「頑張り過ぎている」ことに気付けていなかったため、そういう生き方を続けてしまい、自分自身のココロとカラダを疲弊させてしまったと、今では考えています。

ではなぜ、そんなに頑張っていたのか?
そこには「頑張っていないと不安」な自分がそこにいたんだと思います。

常に何かを頑張っている自分を「他人」に見せていないと、褒められないし評価もされない。

特に何を、ということではなく、漠然とそういう思い込みがあって、そこにはやはり漠然とした不安があるため、その不安を払しょくするべく、何をしたら良いかも分からないまま、焦りばかりが募ってそれがさらに不安となって…と悪循環に陥っているんです。

そのような状況が常に、ということなので当然ココロに余裕などなく、周りを見る余裕もなく、むしろいつも下ばかり向ていることも多かったりするので、変化に気付けないんです。

これがさらに進んでしまうと部屋に篭もってしまうことも多くなり、部屋の外がどうなっているかなんて気付けるはずもありません。

まず自分が「何に焦っているのか」「何を不安と感じているのか」に目を向けてみることをお勧めします。
きっとそこに「実は何もない」ことが分かるはずです。

将来的な不安というのは、誰にもあるモノですけど、それは「先のことが分かる人なんて誰もいない」からです。

だからこそ「今、ここの自分」に目を向けて、頑張るのを少し止めてみて、目線を上げて自分の周りの景色を見る。
そこに「ココロの余裕」が生まれてくるので、今度は常にその「余裕」が持てる自分になっていくようにすると、生きづらさは少し楽になります。

朝、ゆっくりとコーヒーを飲んだり新聞を読んだりする時間を持つ。
夜、自分の好きなことに集中出来る時間を少しでも作る。
そんなことから始めてみましょう。

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