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信頼関係とは

どこぞの町長さんが職員に対して放っていたパワハラ、セクハラの暴言がニュースになり、その町長さんの謝罪会見がニュースで流れていたのを観ました。

謝罪会見ということで「申し訳ありませんでした」と言ってはいたものの、その中身はといえば自己弁護に終始していた、という印象しかありませんでした。

数々の暴言について「お笑いのツッコミのような感じで」などと言う辺り、お笑いの方々に対しても失礼だと考えられないんでしょうか?

また「冗談を言えるような信頼関係が、職員との間にはあったと思っている」とも言っていましたが、残念ながらそう思っていたのは町長さんだけだったようで、そもそものコミュニケーションが取れていなかったであろうことは容易に想像出来ます。

以前も何かの記事の中で「信頼」について書いたかと思うのですが、まず「信用」と「信頼」は全く違うモノです。

「信用」とは「条件付き、報酬あり」という関係で、「信頼」とは「無条件、無報酬」という関係です。

仕事で考えるなら取引先との関係は「信用」関係ですし、同じ会社の中でも上司や部下、同僚との関係性も基本的には「信用」です。

「私は一日○時間、週○日出勤する中で、与えられた仕事をする契約に合意します」に対して会社側が「その条件を満たした場合には月に○十万円を報酬として支払います」とお互いの条件とその対価に合意した場合、そこで「労働契約」という信用関係が成立します。

この信用関係の下で「この同僚とは一緒に仕事するの嫌なんだけど、これも給料の範囲内か」と考えるのも信用関係における「契約」の一部として考えてみよう、といった考え方をすることも時に必要となります。

このような考え方で行くと、この町長さんが言うような「信頼関係」というモノはそこに「仕事」が存在する限り成立しない、とも考えられます。
よく「信頼出来る上司」とか「部下を信頼して」と言ったりしますけど、これは「信用」という言葉に置き換えた方が正しい、と私は考えます。

信頼とは子供を見守る親というような関係性であり、そこに必要なことは常日頃から相手を思いやる言葉だったり、相手の助けになろうとする行動だったりします。
そこには条件を付けたり報酬を求めることは無く、ただ自分の想いだけそこにあれば良い、というモノで、時にお節介などを言われたりすることもあります。

ここでいう「報酬」とはお金やモノといった物理的なモノだけではなく、相手に「認めて欲しい」というような承認欲求も含まれます。
これを求めて相手に何かをするのは間違いである、とはこれまで何度もお伝えしている通りです。

…と、こんな小難しいことを並べ立てるよりもまず、この町長さんは自分のモラルやハラスメントに関して一から見直し、勉強してもらうことの方がよほど大切じゃないか、と思うと同時にまだまだこの町長さんのような人たちは世の中にたくさんいるんだろうなぁ…と自己反省も含めて考えました。

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