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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[121]匈奴の兵制

 第5章 モンゴル高原
第9節 季節は巡る
 
[121] ■2話 匈奴の兵制
 どんな国でも、故国くにはそこに住む者たちが自分でまもる。
 一つの国において兵を集めて訓練し、それを集団としての実力にまとめるやり方を兵制という。これはもともと漢人シーナの言葉だが、便利なので、いまでは匈奴もこれを使っている。ただ匈奴では、兵制というとき、一つのまとまった部隊に所属する人数、その家族と構成員の数、馬やラクダやロバの数、どの食糧、どの武器をどれだけ揃えるかなどの約束事も一緒に定めている。
 匈奴は、十人で一つの隊とする。十人隊長がそれを束ねる。その十人にはそれぞれ家族があり、攻め戦さのときにはそれら家族がみなともに行動する。そこで十人隊長は、いざというときには十戸の衣食住すべての面倒を見ることになる。
 十騎が百騎になれば百人隊というように、部隊は十倍ずつ大きくなり、最も大きい万騎トゥメンは、単に兵数を表すのみではなく、称号しょうごうのように扱われる。
 また、部隊には左右がある。南面なんめんして左、つまり東側には単于の後継たる左賢王サケンオウが配され、西には右賢王ウケンオウを置く。匈奴はこうして広大なモンゴル高原を支配している。
 家族で畜獣を追って暮らし、戦さにあってもそれを崩さない。匈奴の婦女は、ときには戦場で武器を取り、弓を引いて戦う。戦陣における発言が認められ、決して、単に護られてばかりという存在ではない。自らも命を賭して戦うのである。
 そうして、男女ともに部族の掟に従い、捕獲したものを家族のもとに報酬として持ち帰って、一家の暮らしを豊かにする。支配地からはさまざまな形で税を徴収するが、納めさせ、奪い取るのは決して税だけではない。
 こうした日常のすべてが、広くは、匈奴の国を支えている兵制だった。

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