『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[002]ナオトの村の食と暮らし
第1章 西の海を渡る
第1節 善知鳥の海
[002] ■2話 ナオトの村の食と暮らし
ナオトが主に口にするのは、野で採ったものと海で獲れたものだった。
ナオトの村ではあまり見ないが、それに野で狩った鹿や猪などの獣と雉や鳩などの鳥の肉が混じる。西山ではキジが獲れる。時折り、母方の遠い爺が下げてきてくれるのをナオトはどこか心待ちにしている。
海で獲れるものの種類は多い。海藻は、海に入らず浜で拾うことが多い。貝は、シジミ、ハマグリ、アサリが多く、ホタテ、アワビも採れる。
魚は、イワシ、アジ、ハタハタ、ニシン、タラ、スズキなどのほか、海に漕ぎ出してタイとマグロを獲ることもある。どれも魚とはいえ、歯ごたえと味はそれぞれに違う。稀にだが、鯨魚の肉を口にすることもある。
大きな獲物は、海でも、野でも、その場で捌いてみなで分ける。
魚は焼くか土鍋で煮る。そのとき、藻塩や南から渡ってくる魚醤を使って味付けする。
野で採るものには、木の実や野の草がある。タケノコやワラビ、ゼンマイ、キノコ、カラムシ、ノヒルなどは塩茹でにしたり、干しておいて冬に鍋に入れたりする。他に、畑で育てる青菜やオオムギ、ハトムギなどの穀類がある。
ナオトの家で口にするのは稀だが、岩木山の北から東の水田が広がる辺りでは、育てているコメを蒸して食すことがある。
イネは、その実をコメとして食す以外にも使い途が多い。
昔から北ヒダカでは、縄を綯うのにはカラムシと麻を使ってきた。しかし近頃では、コメを作るときに出る稲の藁を使った稲縄をよく見るようになった。
穂を摘み取った後に田に残る稲藁を人手を掛けて刈り取り、乾す。叩き、引っ張って芯を取り出し、それを編んで負い縄にしたり、菰や筵にしたり、背負子の背に編んだりする。
縄も筵も、また稲藁も、家の周りや戸口に下げて雪除けにし、土間に敷いて寒さ除けにする。
他に、茅を集めて縄で留め、俵を作る。この入れ物――梱包材――はよく使われていて、十三湊まで運ぶと大陸渡りの品やコメなどと換えてもらえる。俵の形と大きさは村々によっていろいろだが、大陸に乾き物を運んでいくときの俵だけはどの村も同じ材料で決まった大きさに作ることになっている。
カジカの父の話では、海で波に揺られながらでも持ち上げることができるようにと、西の海を渡っていく俵は、里で使っているものに比べてだいぶ小さめにしてあるという。
近頃は、籾殻が付いたままの籾米を蓄え、また運ぶためのコメ俵も作られるようになった。丸く作る蓋と底、布のように編んで胴にする菰、これらをまとめる縄はどれも稲藁でできている。漏れのないコメ俵を作る者は限られていて、どの村でも大事にされている。
初雪の前、岩木川沿いの村から一山超えて、稲縄を担いだ行商人が海の物と換えに善知鳥の里までやって来る。ナオトの器作りが忙しくなるのは、この縄売りの声が聞こえはじめる頃、いよいよ寒さが堪える晩秋から初冬にかけてだ。
キノコを採り終えれば、あとは、落ちた枝を集め、薪を石斧で割って家の内と外に積み上げたり、あるいは、夏の間に乾かした魚と貝、木の実や野と山の草を選り分けたりという仕事があるだけで、残りの時は自分のために使える。だからナオトは、季節のうちでは冬のはじめを最も好む。
木炭は、西の空が朱に染まった翌朝に、カジカなど数人の仲間と一緒に裏山に上り、夏の間に倒して運んでおいた手頃な太さのナナカマド、カシ、コナラ、ホウ、クヌギなどの木を切り割って膝下までの長さに揃え、七晩掛けて蒸し焼く。ナオトが器を焼くときに好んで使うマツ炭は、柔らかすぎるからと、みなは雑炭と言う。
太い木はそもそも石斧で倒すのも、楔を当てて薪にするのも手間が掛かるし、固く焼き締まらないことがあるので使わない。それに山には、伐ってはならぬと麻縄で囲ってある大きな木も多い。
カジカの父が作った炭焼き窯の高さは背丈に少し余るほど大きく、奥行きもあるので、中はそれなりの広さがある。この窯の中に、木槌で叩いて隙間のないように揃えながら、下から上へと薪木を積み上げる。いろいろな太さの小枝を折っては大小の薪の間にねじ込んで、さらに隙間を塞ぐ。
ナオトは小さい頃から、炭焼き窯の作り方から薪の積み方まで、カジカと一緒に一通り仕込まれた。
小さな焚き口を残して、運び口を泥土でしっかりと塞ぐ。いよいよ火を入れて、窯のてっぺんに開けた煙通しの穴から白灰色の煙が上がるまで見届けたら、焚き口も塞ぐ。窯の壁に穴があると生焼けになるので、気を張って隙間を探し、水で練った赤土を打ち付けるようにして塞ぐ。
窯全体を見回して煙の漏れはないと確かめたら、あとは待つだけだ。窯から煙が洩れ出てくることがあるのでしばらくそこにとどまり、なおも残る穴を赤土で塞ぎながら待つ。
木炭が焼き上がるまでに七日掛かる。こうした時を、仲間と交代で麓との間を行き来しながら過ごす。一人、二人その場に残り、身近なことを話して笑ったり、考え込んだり、怒ったり、何も知らないのに村の内や外の女のことをああだ、こうだと持ち上げたり、けなしたり、あるいは、屋根を掛けた炭焼き小屋に寝転がってうたたねするなどして、思い思いに過ごす。
来年のいま頃はどうなっているか、十年後にはどうしていたいかなど、とりとめのないことを考えては口にするのもこうしたときだ。
しかしナオトは、たいてい、焼き上がるのを待つ間に山に上り、いつもの場所で太い樺の木を探してなるべく大きくなるように気を付けて皮を剥ぎ、まとめて藁で結わえる。小さなものは竹の腰籠に集める。性分で、みなと話をして笑ったり、寝転がって過ごすのが苦手なのだ。
炭焼き窯の奥を回り、クヌギの切り株の間を抜けて少し上れば、白に黒のまだらが入ったカバの木はいくらでもみつかる。林になっていることもある。水を弾くカバの皮は屋根を葺くのに使う。それに、よく燃えるので焚き付けになる。白っぽい表に、仲間内で決めた印を小枝の炭で書き付けることもできる。
ナオトの家では昔から「母さん、川に行く」と言い置きたいときには、決めてある印を二つ、三つ記し、家の入り口に石で留めることにしている。「イシダイを突きに」ならば、母がいつも上手いとほめる魚の絵を添える。
焼き上がった木炭を窯から出すときには手も顔も真っ黒に汚れるので、好んでやる者はいない。ことに、竹の棒を組み合わせて作った道具で窯に残る木炭の粉を掻き出すときなどは息が詰まってつらい。しかし、心待ちにしていた木炭の出来栄えを確かめる瞬間を考えれば、嫌だととりたてて言うほど嫌いな作業でもない。
木炭は、窯の近くの小屋に運び、カンカンと炭と炭とで打ち鳴らしながらあれかこれかと硬さを比べ、あるいは太さの同じものを選って茅で粗く作った俵に詰める。
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