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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[003]焼き物

第1章 西の海を渡る 
第1節 善知鳥うとうの海

[003] ■3話 焼き物
 氷が張る少し前の冷たい水を使って陶土つちこねねるのはつらい仕事だ。しかし、うつわの形に作りはじめればすべてを忘れて向き合える。
 
 器を焼くときには、石と土煉瓦つちれんがで小さく囲った土窯つちがまの真ん中に木炭を積む。ナオトは、はじめから終わりまで薪は使わない。
 昔からのやり方に比べて高めにしてある土窯の壁際に巡らすように器を並べて、火をおこす。背の高さにまで燃え上がる炭火の色を見ながら長い火吹きの竹を持って周囲を回り、器が熱くなっていくのを見守る。ときどき竹の棒とヘラを使って器を回し、熱を受ける向きを変える。
 竹棒を持って火の周りをゆっくりと回るとき、なぜか、怒ったような顔をしていると言われたことがある。
 ナオトは、いまはどの村でも作るようになった、使いみちだけを考えたのっぺりとした器の形は好まない。頼まれれば作るが、自分からそれを作りたいと思ったことは、正直、一度もない。
 ところが、その形の器をナオトが焼くと硬く締まって軽いので、大きな器が欲しいときにはナオトに任せるしかないという評判が近くの村々に行き渡っている。
 同じ大きさならば、ナオトよりも軽い器を焼き上げる者は北ヒダカにはいない。
 軽くするには薄く焼く。粘土で作った器の内側を竹のヘラを使って削るのだが、厚みを揃えるのが難しく、薄くし過ぎると、焼く前にも後にもゆがみ、ひびが入り、割れる。大きな器に水を入れたら底が抜けたなどということも起きる。
 どこをどれほど薄くするか、その加減が難しい。
 土で作るすずふえでも同じことだった。形がよく、軽い。なによりも音がいい。
 
 ナオトの土鈴を振ったときの響きと音の通りはこれまでに見た中で一番だと、寄り合いのときに村おさがみなの前でにこりともせずに話したことがある。
 また、どこがどう違うものか、ナオトの土笛だと狩りのときのイヌの動きが違ってくるという。
「ナオトの土笛のように高く乾いた音は、生まれてこの方、聞いたことがない」
 と、西山の猟師が言った。
 焼いた器にひびが入ったり歪んだりしたことがないので、自分のやり方のどこが違うのかと、ナオトはときどき考える。
 粘土つちはいつも自分で探す。それが違うのかもしれない。
 もしかすると、粘土の練り方が違うのかもしれない。ナオトは体の重みを掛けて丹念に土を練り上げる。粘土に水を多めに含ませて練りながら水を飛ばすために、粘土に含まれる細かい泡が消え、それで割れにくいのではと思っている。
 手間は掛かる。しかし、それを面倒と思ったことはない。
 
 ――土から水が出て、体からは汗が出て……。
 土を練りながら、ナオトはいつも心で笑う。
 ナオトはまた、他の木炭に比べて熱く燃えるマツ炭を自ら焼いて使う。この炭火で作った火床ひどこに向けて火吹き竹で吹いたり、それよりもなお火勢が上がるようにと工夫した道具で強い風を送って燃え上がらせるのが効いているかとも思う。
 
 このみなが使わないマツ炭のおきを、焼き上がりの前に、土窯の真ん中に寄せた器の間に挟み、また、囲んで仕上げるのがいいのかもしれない。これだと少し長めに焼くことになる。
 こうしたすべてが、同じように見えながらみなとは違う、ナオトのやり方だった。
 ナオトのいまの夢は、海の向こうにあるフヨというクニに行って窯と器を見ることだ。窯元かまもとが大小いくつもあり、そこでは窯に使う土と窯の形、それに器の作り方や焼き方までヒダカとは違うという。
 大陸むこうに渡って見てきた者の話では、ヒダカの昔からの野焼きとは違い、フヨの陶工たくみはまるで炭焼きのときのように、閉じた窯の中で器を焼くのだという。

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