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『いつか』を夢見て

私の中で、嵐は心臓。

なくてはならないものだけど、常に存在を意識してる訳じゃないもの。

小さい頃から嵐の曲を聴いて、嵐の番組を見て、ライブ映像を見て──

───物心ついた時には、嵐は常に自分の中にいた。

自分の心臓の存在感を日常生活の中で常に考えている人は恐らくほとんどいないかもしれない。


けれど、運動したり緊張したり、ホラー映画などでビックリして鼓動が早くなる時、もしくは、感動モノのドラマなどで心臓の有難みをしんみり感じた時、人は心臓の存在を意識する。

人間にとっての心臓の存在感はこんな感じだろう。
それ無しでは生きていけないけど、常に意識はしていないもの。

しかし、それでいい。

心臓は、その人の根源になるもの。
生きる上で必要不可欠なもの。
心臓が止まると、その生物は死んでしまう。

私にとっての嵐はそのような存在だ。


例えば、

『推し、燃ゆ』という宇佐美りん様の小説があるが、そこでは「推しは背骨」と主人公は話している。

理解できるが、私とは少し違うなと思った。

1番の違いは、背骨は自分で自由に動かせて(限度はあるけど)、心臓は動かせない。

推しは私達のコントロールは効かないし、こっちの思ってもみない行動をとる。もちろん推しも人間だから、というか、言わば他人だから、こっちの思い通りに動くなんて有り得ない。

だから、心臓。






嵐の休止発表で私の心臓は一時止まった。
本当に、何が起こったか分からなかった。

日常が変わる。
今までの私のささやかな日常に、突如終わりを告げられた。

しかし、私の心臓はその後のメンバーの言葉により微弱ながら動き出した。

「’’5人で’’決めたことです」


''5人で''


たった4文字、これが私が1番聞きたかった言葉で、私を1番納得させる言葉だった。


今まで何度も他のグループのメンバー脱退や、解散、退所、不祥事を見てきた。

その中で嵐はほぼ唯一、誰も抜けずに、特に世間を騒がせる大事な不祥事も起こさず、''5人''で活動してきた。

20周年のライブで、櫻井翔は言った。

「5×20の20という数字よりも、20年変わらなかった5という数字が凄いと思う」

言われてみて、確かに、と、私の中で何かのつかえがストンッと落ちた。
今までそんなこと、特別意識したことがなかったからだ。
5人の嵐が、私の中で当たり前だった。

大野智は、「自分だけ脱退の形をとって、他のメンバーに嵐を続けていってもらいたい」
と言った。
松本潤は、それを許さなかった。いや、彼だけでなく、残されるメンバー全員が。

「5人じゃないと、嵐じゃない。」

嵐5人がこだわってきた、5人の形。

そんな人達だからこそ、『5人で決めたこと』というのはとても大切な嵐の形であり、私達ファンにとってのパワーワードだった。

もちろん、納得していないファンもいるだろう。ネットに書き込むのも、事務所に抗議するのもよし。けれど何をどう足掻いても、結局ファンにできるのは待つことだけ。
いつか必ず帰ってきてくれると信じて。

それしか出来ないのだから、せめてそれを全力でやろう。全力で待ち構えて、いざ復活した時のために、嵐の居場所を守ろう。




私は今、なにふぁむ(なにわ男子のファン)になっている。推しは西畑大吾✌︎。

よく、「あれ?嵐もうやめたの?」と聞かれるが、違う。私の中にはいつまでも嵐は存在している。5人の嵐が。

なにわ男子も好きだけれど、その根幹にはずっと嵐がある。

なにわ男子の曲ももちろん好きだ。
しかし、不意に口ずさむ曲は嵐の曲だった。

私の中で嵐はよく言う殿堂入りというやつで、なにわ男子は○回連続ランキング1位!というような感じだ。

比べようがない。だってどっちもカッコよくてどっちも追いたくなるのだから。

私の微弱になった心臓に電気ショックを与えてくれたのがなにわ男子。完全復活はしていないけど、なにわ男子が私の命を繋いでいてくれている。


私が今生きていられるのはなにわ男子の電気ショックと、嵐は必ず戻ってくる、と信じる気持ちのおかげだ。



大丈夫、嵐は戻ってくる。

誰に何と言われようと、私は信じている。いや、信じたい。ただ1度だけでいい。5人の姿をもう一度見たい。そのたった1度で、私の心臓はまた動き出すから。

だからお願い、帰ってきて⎯⎯⎯⎯⎯⎯












⎯⎯しかしこの願いが5人に重荷を背負わせているようで、堂々と願うことが私にはできない。

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