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今日も我が家は「ゴジラ-1.0」ワグナー・ナンドール秋季展、最終日


皆様「おはこんばんちは」

鈴丸 カエル🐸です。

15日はワグナー・ナンドール秋季展最終日でした。

15日は彼の命日でもあるため、私は心静かに過ごしました。

それにしても、何故?同じ宗教であるはずなのにこんなにも多く解釈が違い、お互いに傷つけあうのでしょうか?

お互いに認め合う事はできないのでしょうか?

「私は、文化・宗教などの相違点よりも、各々の共通点を探しているのです。
共通点を通してしかお互いに近づく事が出来ないのです。

人類の原点に立ち返る事が必要で人類共通の誰でも従える安心なルールを作らなくてはならないのです。」

とワグナー・ナンドールさんは言っている。

正に分かりやすい事ではないですか?

本当にそう思います。


次回は2024年度、春季展4月15日〜5月15日


私は日本人でよかったと思うのです。

古来より日本は異教を受け入れハイブリット化して異なる宗教として祭り上げ断崖される事もあったがその多くは受け入れられて来た。

しかし、森羅万象、自然を神々にして神社⛩️仏閣を建立してきた。

その形はさまざまである。

もちろん古事記に書いてあるイザナギ,イザナミはもちろんであるが時に人である事もあり神社⛩️に祀られているのは鏡でありそこに映る自身もまた神なのである。

それで良いと思うのだ。

日本人にとって地球そのものが神様なのである。

と私は思っている。

八百万の神

そして荒御魂、荒ぶる神もまた神なのでした。

自然災害の多い日本、災害もまた神の仕業なのです。

2010年、その6年前に福島のスキー場に出かけ脳溢血で救急車で運ばれた父、そしてそれ以来、半身麻痺の父の介護をしてきた母と私、介護疲れでその年の5月連休前に母は心筋梗塞で倒れ一月後に亡くなった。

母の葬儀から泣く暇も無く父の介護がのしかかり、そして2011年、東日本大震災と福島原発、全てがストップして今までの当たり前が当たり前で無くなり、あらゆる事に自分は無力だと思いしらされ大切なことって何だろう?と考えさせられた。

そして、やっと先のことが考えられると思った矢先にコロナパンデミック、2020年4月、仕事ができなくなり、またしても全てが完全にストップすることに、収入の不安が重くのしかかり、こんなに全てが機能する事が無くなり移動することも出来ず、しかも全世界に機能しなくなるなんて事なんだろうと恐怖でした。

色々な理由をコロナ禍のせいにできて私は生きやすくなった。

正直、今不安定な時代を迎えて、当たり前が当たり前で無いこと、それらを感謝しながら現在に至る事、家族が元気に暮らせていると言う事、いつ?何が?あっても不思議ではないということ、当たり前はいつも当たり前では無い事を肝に命じているしだいであります。

どうか、どうぞ、穏やかな日々が続きます様に・・・🙏


さて、我が家は先週に続けて「ゴジラ.-1.0」をまた観てしまった💦

県内で一番大きな画面で、より良い音響でとやはり迫力が違う!

久々に映画にハマってしまいました。

もう、我が家の皆様「ゴジラ.-1.0」の親善大使になったかの様です。

昔、若い頃に「E.T」にハマってジョン・ウィリアムの曲も良くて映画って曲も良いと名作になるように思うのです。

我が家のドラ息子氏はバイクで茨城県にあります飛行機があった倉庫に行って来てスタンプラリーをしてきたらしい。

「のりこ」の衣装が飾ってあるらしい。

「ゴジラ.-1.0」もまた荒ぶる神様の象徴なのだと思える。

古今東西にも荒ぶる魂を静めようと神社⛩️が建てられたりする。

ので、何故建立されたのか?調べてみるとおもしろいのです。


というわけではありませんでしたが、我が家がよく参拝しに行っている
古ヶ原、古峯神社⛩️に仕事終わりの娘と久しぶりに参拝して参りました。

今年は紅葉の機会を逃してしまい、どんな感じかな?と車を走らせました。

今年の紅葉はあまり綺麗ではないようです。

もう、既に色づく前に枯れてしまった感があります。

とにもかくにも、私は安全祈願をしてまいりました。

早く戦争が終わります様に🙏🙇‍♀️⛩️

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