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お腹いっぱい

どうも、犬派です。

お腹を壊すので、いつもは、お腹いっぱい食べないことにしているのですが、昨日は、やけくそになって、お腹いっぱい食べて、今日、お腹を壊したアラフォーアライグマです。

感謝って、中々継続出来ない。

有るのが当たり前だと思わないこと、そう思うと、感謝だなぁ、と思うけれど、直ぐに忘れてしまう。

コロナで、日常生活が脆く崩れ去り、社会が築き上げて来た"日常"は、こんなにも脆いものだったのか、と認識した。

以前と比べて、社会は日常を取り戻したが、また新たな感染症が発生すれば、初期のコロナの時の様に、社会は、パニック状態になるのだろう。

私たちが、コロナから何を学んだのか、それが問われているのではなかろうか?

医療や福祉の方面は、国が対策をすることだと思うので、私がどうこう言うことは控えるが、ただ、個人個人の気持ちの持ち方は、変えることが出来ると思う。

ウィルスだけでなく、災害の被災も同じ。危機に直面した時に、どうやって、乗り越えるか?

お互いに、助け合う。それが、今の社会に求められていることではないのだろうか?

何があっても、人への優しさを忘れない人は、1番強い人だと思う。

現代人に、心が病んでいる人が多い。

若い世代(15~39歳)の死因の1位は自殺となっています。こうした状況は国際的にみても深刻であり、若い世代で死因の1位が自殺となっているのは、先進国(G7)では日本のみです。(とくしま自殺予防センター)

人生の花とも言われる世代の人たちが、花を散らしていく社会。本当に生きやすい社会とは何だろうか?

社会に、優しさが足りないのではなかろうか。

私は、両親の死も、姉からの家庭内暴力も、乗り越えてきたから言う。自殺は、最悪の逃げだ。死んでも、幸せなんか、待っていない。

逃げるな、とは言わない。苦しいなら、逃げれば良い。それは、生きることから逃げるのではなく、今の環境から逃げること。

引っ越しをしたり、仕事を辞めたりして、逃げる。

生活が出来なければ、生活保護に逃げる。引っ越しの費用が無ければ、役場が出してくれるよ。

とにかく、生命を守るために、逃げる。

人生のリセットボタンは、自分で押すんだよ。

13年も精神病と闘ってきて、死にたいと思わなかったと思う?そんなの、何度も何度も何度も思ったよ。

だけど、この世の中には、生きたくても生きることが出来なかった命が、沢山ある。

私の両親も、もっと生きたかったのに、永遠の旅路に赴いた。

私は、その無念を胸に、両親の分も生きてやる、と決めたんだ。

病気が治ったら、同じ様に苦しむ人を助けてあげなさい。あなたが救いの光になるだろうから。母の言葉だ。

私は、その約束を果たすべく、生きている。それが、自分が生きていることを肯定する理由だ。

父は厳しく、私は、父から褒められたことがなかった。否定ばかりする父に、苛立ちを感じたこともあった。

でも、父なりに、頑張ってくれていることが分かっていたから、反抗心はなかった。

地方の無名大学を卒業させてくれたことには感謝ばかりだ。奨学金の話も出たが、社会に出る時に借金という足枷を娘に背負わせたくない、という思いで、学費を払ってくれた。

母は、優しかったが、甘い優しさではなく、厳しさの中に優しさがある、という感じ。

私が間違ったことを言うと、ピシッと注意された。感謝だ。

両親を亡くし、親がいる人は、どれだけ恵まれているか、よく分かった。勿論、毒親は別。早く逃げて下さい。

両親が生きていた時は、お腹いっぱいに食べさせてくれたなぁ、と懐かしく思う。

今は、経済的に、お腹いっぱいは難しいけれど、それが幸せだったんだ、と、無くして気付くのだから、有るのが当たり前だと思わないこと、を身に染みて感じる。

今の社会も、そうだと思う。

当たり前は、当たり前ではない。いつでも崩れ去る可能性がある。

そういう風に思えば、自然と、感謝が湧いて来るし、自分が困った時に助けて欲しいのなら、まずは、人を助けてあげられる自分を作ること、それが、自分を成長させることになるのではなかろうか?

小さな事でも、努力を続ければ、いつかは必ず道が開ける。

人生って、苦しいけど、その先に何が待っているか、は、乗り越えてみないと分からない。

苦しい時に諦めたら、その先の幸せは掴めない。そんなものだよ。

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