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生きるって大変

こんばんは。今日もアラフォーです。

今日は、長いかもしれませんが、最後までお付き合い頂けると、嬉しいです。

私がnoteを始めたのは、

⭐︎書くことが好きだから。

⭐︎知人からは、話している会話の内容が分かりやすい、職場の人達からは、説明や報告書が分かりやすい、と必ず言って頂けるから。

如上の理由でした。

訪問看護の看護士さんに、文章を書くことが出来る何かがあるか相談したところ、noteを勧めて頂きました。

最初は、自分のこと、家庭内のことや、姉から受けていた家庭内暴力の詳細等を書いていました。

以上の記事に、姉から受けていた暴力の詳細が書いてあります。上手くリンクが貼れているのか、不安ですが…。

とにかく、誰かのお役に立てれば良いなぁ、と、漠然と思い、書いていました。

途中で、環境がごちゃごちゃし始めて、書くことが嫌になり、遠ざかりましたが、また戻って参りました。

私でも、何か役に立てることは無いだろうか?と再三考えた末に出た答えが、noteの再開でした。

私が常に、分かりやすく伝える努力をする様になったのは、教師時代でした。

生徒に分かって貰う為には、分かりやすく説明する必要があります。

言いたいことを言って伝えた気になっていても、相手に伝わっているか分からない、分かって貰うには、どうしたら良いだろうか?を常に考える癖がつき、このことは、それ以後の私の人生に、大きな影響を与えました。

影響、それは、自分中心の考え方から、他者中心の考え方に移行出来たこと。

それは、文を書くだけでは無く、対人関係においても、大きく変化をもたらしました。

人に対して、厳しかった私を、成長させてくれたこの経験は、私にとって、大きな実りのある出来事でした。

人の役に立ちたい!正義感は強くて、真面目です!けど、自分に対しても厳しいが、人に対しても厳しい、性格がキツいのが、玉に瑕。

アンパンマンは、愛と勇気が友達だと言っていたけれど、私には、愛が足りなかったのだろう。アンパンマン、友達少ないなぁ、とは思うけど。

私は、ハリネズミだったと思う。可愛い見た目とは裏腹に、触ると痛い。

あっ、私の見た目は、友人曰く、リラックマの白いやつ(コリラックマ)だそうです。コリラックマから、可愛さを引いて下さい。

正論を振り翳すのは、理想的だけれど、それで人を裁くのは、よくない。裁かれた相手は、心を針でグサグサ刺されている。

私は、それに気づけなかった。針で刺すだけならまだしも、鋭い言葉の短剣で、心臓をひと突き、なんてこともよくあった。

ある日、母を泣かせてしまった。

母は、「あなたの言うことは正しいけれど、あまりにもキツすぎる。」と言った。

母を泣かせてしまった自分を責めた。

それから、私は、自分を変える努力をした。

優しくなりたい、なれない、と、煩悶する日々。

その後、職場でのパワハラやセクハラで、精神病になり、体と頭が働かなくなった。

寝たきりで、どんどん頭が馬鹿になっていく。

両親の支えが無ければ、生きていけない。

申し訳なかった。

父は、精神病に理解が無かった。姉共々、気狂いが2人も家にいる!と言っていた。

しかし、家に置いてくれただけでも感謝だ。

食べ物は充分与えてくれたし、普通に生活させてくれた。父は、最後には、理解をしてくれた。

症状が悪化して、どんどん出来ないことが増えていく自分が、情けなかった。

迷惑をかけてしか生きられないことは、私にとって、とても辛かった。

こんな娘で、ごめんなさい。

結局、親孝行も出来ないまま、両親は天国へ旅立ってしまった。

私の唯一の支えだった母の死は、私を奈落の底に突き落とすと同時に、絶望の淵へと立たせた。

生きている意味が分からない。そもそも、生きていることに、価値なんてあるのだろうか?

姉から絶えず行われる暴力は、私の精神と肉体を極度に蝕んでいった。

姉からの嫌がらせで食事をさせて貰えず、最終的には、食事が有っても、食べようとすると手が震えて、食べることが怖くて食べられなくなり、このまま一緒にいると、死んでしまう、と思って、家を出た。

そして、今に至るのだが、家を出てからのことを書くともっと長くなるので、端折りました。

後々、機会が有る時に書こうと思います。

苦しみを乗り越えて、今、言えること。

苦しい時は、逃げても良い。

私には、もともと、逃げる、と言う選択肢は無かった。困難には、立ち向かうべきだと思っていた。

けれど、命を捨ててまで戦う必要のある戦など、無い。

姉から逃げたけど、本当に良かった。貧乏だけど、幸せ♪( ´▽`)

生きる価値がない人間は、いない。

皆、何かの使命を持って生かされている。

クソ姉は、生存価値なんて無いと思うけれど( *`ω´)

だけど、その最低姉がいなければ、私は、暴力で苦しむ人の苦しみは分からなかった。

精神病の人だけでは無く、家族も共に苦しんでいることが、患者の立場からと家族の立場からと、両方を経験しているので、よく分かる。

姉は、私を成長させる為に必要な存在だったのだろう。

色々な方々の支えが有って、今の私がある。

人の優しさが、身に染みる。

そのことを、深く胸に刻んで、感謝を忘れず、人に愛を、自分にも愛を、で、これからも進んでいこうと思う。

長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

私の書いた言葉たちが、いささかでも皆様に裨益するところがあれば、幸甚です。










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