幸せのカタチ − わたしたちはもう幸せになってもいいのかもしれない
「COCOPOIROOM」カウンセラーのMAKIです。
何かをきっかけにこのページに興味を持っていただき訪れてくださった方、はじめまして。いつも応援してくださっている皆さま、本当にありがとうございます。
わたしたちは、学校や社会で教えてもらえない「大切なココロの智慧」を、みなさまのウェルビーイングに活用していただきたく、さまざまな発信をしています。
今回は、多くのかたが望む「幸せ」について、心理カウンセラーの観点からお届けしたいと思います。ぜひ最後までおつきあいくださるとうれしいです。
「人生を良くするにはどうしたらいいでしょうか?」
とメッセージを下さる方が増えています。
なかでも多いのが『もっと幸せになりたい』という願いです。
『なぜ人生が思うようにならないのだろう』
『どうせ自分なんてずっと変わらないのかもしれない……』
と先が見えなくなっているひとが多く、その証拠にメルマガのアンケートでも同じようなお悩みを頂いているのが現状です。
幸せになりたい、人生を良くしたい、愛されたい、自由でゆたかに自分らしく生きたい。
そう願うものの、報われないのではないかと不安になり希望がもてない。
『こうだったらいいな』『あれもこれも叶えたいな』と、幸せを外側に求めても、どこにもたどり着かないことに本心は気づきながら、どうしたらいいのかわからず現実逃避をしては再びグルグルする……
このようなループになってしまっている場合、ご自身の人生が幸せにならない理由の1つに《幸せにならないような思いこみ》を無意識に持っている、と言うことが挙げられます。
けれど、もしそのよう場合でも大丈夫です。安心してください。
なにをどのように“勘違い”していたのかに気づけたら、人生はきっときっとよくなります。
このことはわたし自身、永い年月をかけて実現してきました。
まずは無意識に“あたり前”になっている過去の思いこみを見抜いて《あなただけの幸せのカタチ》に気づけるようになってみましょう。
■幸せのカタチとは?
この話をするとき、わたしはジグソーパズルを例に出します。
最初にお伝えしたいこと、それは
“あなたにとってのパズルのピースは、あなたにしか使えない”
ということです。これは自分で自分の価値観を決定する“世界にひとつだけのカタチ”だからです。
パズルのピースの中には、よく似た形をしたものはたくさんありますが、全く同じ形、同じ絵柄のピースは1つもありません。
これは、わたしたち人間に組みこまれたDNAのようなもの、唯一無二の「幸せのカタチ」だとイメージしてみましょう。
幸せとは、それぞれ生まれた時から与えられている条件であって、自分にとってのパズルのピースは自分にしか使えません。
ですが、多くの人はそれを他の人にそのピースを握らせてしまっているんですね。
例えばここに、幸せになる絵のジグソーパズルと、幸せにならない絵のジグソーパズルがあったとしましょう。2つの柄のパズルのピースが1枚だけ入れ替わったとします。
一生懸命に幸せになる絵のパズルを組み立てようとしますが、ピースが入れ替わっているのでパズルは絶対に完成しません。人生がなかなか良くならないのはパズルが完成しないのと同じこと。
つまり、人生の間に「幸せにならないピース」が紛れ込んでいるからです。
■間違ったピースを正しいピースに変えるだけ
わたしは自己表現の一環として、セッションや心理のお話を発信しています。これらの経験から知ったことがあります。
それは、相談してくださる方の多くが「幸せになるイメージ」がハッキリと描かれたパズルを持っていないことでした。
世の中の流れに静かに身を潜めていればいつか良くなると我慢しながら、自分の幸せは「こんなもんでいいか……」とあきらめ、誰かにパズルのピースを渡され、違和感を持ったまま組み立てている。
もしくは、何も描かれてない真っ白なピースを、不安になりながら毎日毎日手に取って、いつまでも完成しない穴だらけのパズルの前でボーッと眺めているだけ……
そんなみなさんに、幸せになる絵がはっきり書かれているパズルをお見せし、幸せにならない絵のピースを取り除く方法を伝え、一緒にパズルを完成させるのがわたしの役目です。
ひとつひとつピースを組み立ててゆくうちに、あなただけの幸せのイメージが見てくるのがわかると思います。
■“幸せになれない” はほんとう?
“世界は自分が創っている” という言葉を聞いたことがあるかと思います。
ココロのお勉強をしている方には聞き慣れたお話ですね。その場合、今までのおさらいだと思ってお読みになってくださるとうれしいです。
「そんなこと信じられない!」という人もいらっしゃるかも知れません。このような人も、深く考えずにサラッと読みすすめてください。
結論からいうと
わたしたちは《自分が好きなように世界を見ています》
仮に、あなたが見えている世界がグレーで重々しいものだとしても、そのパズルのピースを使って世界をそうしてしまっているだけなのです。
本著を読んでくださっている方のなかには、現状や、いま経験している世界に納得していない人もいるかもしれません。
「好きでこんな現実を過ごしているわけじゃない!」と憤りを感じる人もいらっしゃるかも知れません。
でも、それってほんとうでしょうか?
もう一度声を大きくして言いたいと思います。
《わたしたちは自分が好きなように世界を見ている》と。
だからこそ、自分を幸せにしない絵を描いているのだとしたら、そこには必ず何かの意味があります。
自分が幸せになれると思えない、自分の望んでいる現実にならない、とガッカリする場合は、ほとんどの確立でパズルのピースを他人に手渡している可能性が大きい。
だから、“幸せになれない”と思ってしまう。
自分を変えることは出来ない、願いは叶わない、と思ってしまう。
それは本当のピースをなくしてしまっているから。
他に譲ることなど絶対に出来ないにも関わらず、誰かに手渡してしまっている状態。では、どうしたらいいでしょうか?
こたえはとてもシンプル。まず、それを “取り戻すことが出来る” と気づくことからはじめましょう。
■世界は違いでできていると気づいた美大生の話
「どうやって取り戻すの?」という方のために、わたし自身のエピソードをご紹介したいと思います。
わたしは美大在学中に渡米したのち、ニューヨークを拠点に1年ほどフラフラと世界中を旅しました。THE自由!という感覚を楽しみたかったのです。
きっかけはすごく単純でした。わたしは昔から「自分に正直に生きている」という自負がありました。それなのに、どこにいても居心地が悪く、自分の居場所がないような気がしていました。
素のままのわたしじゃいけないのかな?と考えると苦しくて、どうしてこんな風に考えてしまうんだろう、なぜもっと気楽な性格に生まれてこなかったんだろう、と真剣に悩んだりもしました。
美術を専攻してはいるものの、将来どんな職業に就きたいかはまったく見えておらず、大学でも不毛な日々を送っていました。
そもそもアーティストとして生計を立てる方法もわかりませんし、誰も教えてくれませんでした。友だちはいましたが、お互いが手放しで信頼しているかどうか微妙でした。
「自分に正直なだけじゃ生きていけないんだ」そう思いこんだわたしは、何者かにならないといけなようなプレッシャーを抱えていたのだと思います。常に見えない敵と戦い、誰とも気持ちをわかちあえず、何よりわたしという不確かな存在そのものとつながることを恐れていました。
その生きづらさに耐えかねて、逃げるように日本を離れたのです。
きっとどこかにわたしにピッタリな生き方があるに違いない。そう信じて旅をしていると、世界のあまりの「自由さ」に逆に戸惑ってばかりでした。
多種多様な人種とその文化。宗教や考え方。キレイ汚いの分別が曖昧な在り方。まったくついてゆけないモラル。無秩序。ルーズさ。理解しがたい価値観。人種差別……
ありとあらゆる違いがわたしを混乱させ、ストレスが募ってゆきました。これはダメ、この人はわかっていない、この国は愚かだ、とジャッジしてはわたしにとって都合のいい答えを探し求めていました。
自由を求めているにもかかわらず、それぞれの生き方の違いを尊重できず、批判ばかりしていたときのわたしは、自分の未熟さを浮き彫りにして、自ら不自由になっていたのです。
今ならわかります。
「すべては違いでしかない」ことを受け取ることができなかった自分の弱さそのものが、不自由なのだということを。
正解のない世界で変化を求められ、つねに自分で選択し、行動してゆかなければ何も手に入れられないギリギリの現実に何度もぶち当たりながら旅を続けてゆくうちにやっと気づきました。
これまでの自分の生きづらさの原因を自分自身でつくっていたのだと。
貧しさや争いや差別に満ちた理解しがたい世界。ですが、そこに生きる彼ら彼女らは、とてつもなく真剣に自分を生きていたのです。
その姿は神々しくも感じました。
わたしは、わたし自身を生きていなかった。
気がついたとき、ショックでした。
幸せになるために必死になって「もっとこうしなくちゃ」と一生懸命もがいている自分自身を「わたし」だと思っていたからです。
でも、違いました。ほんとうは、何ものかになるために武装し、戦い、さらに無理や我慢をしながら架空の願いばかり追いかけて身も心もヘトヘトになっていたのです。
それら目に見えない外部に意識を向けるのではなく、自分自身に意識を向ける重要性を知り、わたしという存在を生きなければ、世界中どこに旅をしても同じじゃないか、と。
その頃、こんな風に思っていました。
もっとお金があれば…
もっと成功すれば…
もっと才能があれば…
そう。 “条件付きの幸せ” です。
《これが手に入ったら何者かになれる》と思い込んでいるだけの、被害妄想だった。
善いか悪いか、正解か不正解か、損か得か、勝つか負けるか……
本質的なことから目をそむけて逃避し、脳内で創った幻に追われて自分の気持ちを誤魔化していた。
ある事がきっかけでわたしは「穴だらけのパズルの絵」の前でじっと立ち尽くしていたことに気付きます。
それは、あっけないくらい、シンプルでした。
「わたしはもう幸せになってもいいのかもしれない」
そうハッキリとわかったのです。
■自分を尊ぶことへ許可を出す
このように書くと、《自分のココロと向き合いなさい》《嫌な自分を受け入れなさい》と言われているようでピンとこない方もいるかと思います。
以前のわたしも、「命令形みたいでイヤだな」と抵抗を感じていました。
ですが、自己探求をつづけることで間違いなくわかったことがあります。
自分という存在そのものを受け入れるとは、「自分の心に正直に生きることへの許可」でした。
繰り返しますが、わたしたちは自分が好きなように世界を見ています。
「出来事に意味はない」のです。
すべてにおいてポジティヴ・ネガティヴなどの2極論もありません。その《結果》に対して、《解釈》や《意味》を持たせ、それをどう思考し、感じるのかは自分の選択。そこへパワーを持たせているのも誰でもない自分です。
最終的に、世界は自分が創っているということになります。
わたしの例でいうと、“いつまでも自由を求めて旅をし、そこに意味を持たせているわたしという存在” がいただけ。
でもほんとうは、すべては選択できて、はじめから制限などなく、誰にも何にも要求をされていない。
自分自身を一生懸命生きること以外に、尊いことはないのかも、と。
この気づきを得たとき、わたしは、“自分を罰することにエネルギーをかけること” をやめました。
それから、不思議なくらい無駄な力みが抜け、全身がリラックスし、カラダの奥の方がキュッと締まってチカラがみなぎったのです。
■What is Happy?
幸せになりたいと思うことは誰しも同じです。
ここでの「幸せ」のニュアンスは、もっとお金があればとか、これが手に入っていればとか、もっとこうだったらいいのに……という条件付きの幸せではなく、「幸せにしかならない」という揺るぎないフィーリングです。
もし、これを読むあなたが、“無条件の幸せを受けとっていいと思えない”場合、こんな風に考えてみてください。
「すべてうまくいくとしたらどうしたい?」って。
自分が望まない現実や、ツライと思う環境のなかで、自分のことを苦しめ、自分自身をないがしろにする必要はどこにもないはずですよね。
どんなときでも大切にされ、愛し愛され、心地よくやさしい気持ちで生きることは、けっしてズルすることでも怠けることでもない。
あなたがあなたの好きなように自由に生きることは、誰かを不幸にすることでなく、むしろ誰かが笑顔になるかもしれない、そうイメージしてみてはどうでしょうか。
だから、いま、ここから幸せであっていいのです。
ジグソーパズルの絵を完成するのは、「自分を幸せにする」という覚悟のようなものかもしれません。
《わたしは幸せにしかならない》そう決めたとき、バラバラになっていた幸せのピースが手元に戻り、本来の美しい絵を取り戻したのです。わたしは実にHappyな感覚でした。
それ以来、自分の幸せを大切にすることが何よりも優先だと実感しています。なぜなら、わたしが幸せでなければ、だれのことも幸せにできないからです。
■素直を再定義しよう
ここで「幸せについて」お話をすすめる前に再定義したいことがあります。
ココロのお話をする時、「素直さ」がとても大切です、とお伝えしてきました。この言葉に惑わされて欲しくないときがあるのでご説明させてください。
あなたは「素直」と言われるとどんなイメージを持ちますか?
天真爛漫で、だれとでも仲良しになれ、くったくのない笑顔の印象があるとしたら、わたしは全然違います。
わたしは、自他ともに認める「人見知り」です。
子供のころからみんなと一緒にワイワイ遊べなくて、盛り上がることも自分の気持ちも言うのも苦手で、そもそも言おうとも思わないタイプでした。
普段からあまり笑顔を見せませんし、人から見れば「扱いづらい子」だったと思います。
でも、これも「わたし」です。今でもどちらかといえば人がたくさんいる場所は苦手です。
これがしたい!と他人に素直に言えないし
楽しいことがあってもキャーと開放的に喜べないし
お願いしたいことをすぐに頼めないし
逢いたい時に逢いたいと言えない……
どう見ても「世間一般でいう素直」とはほど遠い人物、それがわたしです。
ですが、 そんな自分がわたし自身しっくりくるしどこも否定しません。
ここで言う「素直さ」とは、単に誰かに甘えることとか頼ることができるとか感情がわかりやすいとか、そういうニュアンスではありません。
幸せになるために必要な「素直さ」とは、どんな自分に対しても抵抗せず受けとめるニュートラルな姿勢のことを意味します。
わたしで言えば、人見知りで、開放的に盛り上がれない人、という資質をそのまま受けいれ無抵抗でいる。
つまり、《どんな自分とも戦わない》という状態なんです。
■幸せについて考察する3つのポイント
ここまでのポイントを簡単にまとめましょう。
このような内容でした。
大切なパズルのピース。あなたの中にもありますよね?
きっと、たくさんあります。
でも、それは「自分で自分の幸せを決める!」と決意しなければ、他の人の手に渡ったまま。
もしもあなたが「もっとこうしなくちゃ」と幻想と戦っていると気づいたら、チカラをぬいて、もう戦わなくていいんだよと自分を解放してあげてください。
問題探しをやめ、あなたがあなたの幸せを決める、それができるのはあなたしかいません。
もっと笑ってもっと心地よく。だれからも愛されていいし、無理にいい子になる必要はない。
なにより、過去の傷や過ちをひきずって幸せになれない現実ばかり追うよりも、どんどん望む幸せを体験したいじゃないですか。
そのために、あなたがだれよりもあなたのそばにいて
最高に尊く想い、だれよりもあなたの幸せを祝福してあげるのです。
■それって、ほんとう?
では、ここから『どんな自分とも戦わない素直さ』とはどう言うことかをご説明しながら、どうして幸せの定義から思考回路がズレてしまうのか?その見極め方について解説します。
素直になる。それは「本音でいる」ということだとわたしは定義しています。もっと言うと、
わたしたちの本音はいつだって“ご機嫌でいたい” ただこれだけ。
幸せになりたいのも
あの人から愛されたいもの
お金がほしいのも
キレイになりたいのも
安心したいのも
みんなから認められたいのも
満たされたいのも
旅したいのも
つながりがほしいのも
ぜんぶ、ぜんぶ『ご機嫌』でいたい、からなのです。
だから、あれもこれも欲しがる全ての人のほんとうの気持ちはいつだってここを感じていたいんです。
みなさんも知ってますよね?子供のころ、時間を忘れていつまでも夢中になって遊んだむ時間の至福。あの、生命の根源のようなストレートな快感。野生。
子供の頃は自然にこの感覚だけを選んで自分自身のど真ん中とつながって生きていました。おとなになるとピュアな感覚に余計な情報がからまってしまい、自然な状態でないまま思考や感情で決めてしまっています。
このストレートさを忘れてしまうと、わたしたちは再び迷い、問題探しと問題解決にエネルギーを奪われ、幸せとは関係のないことに浪費してしまうのです。そうなってしまうと……
やりたいことのイメージがわかない
自分が何を求めているのかわからない
言いたいことが言えずスッキリしない
もうおわかりのように、幸せのピースを無くしたまま穴だらけのパズルゲームをつづける不毛な生き方になってゆく……。だから
「え? それって、ほんとう?」
と気づきましょう。
今すぐ無意味なゲームをやめて、いますぐ自分がご機嫌の状態へチェンジしよう、というのがわたしからの提案です。
とは言え、ノイズの多い現代に生きるわたしたちは、意識的にならないと簡単ではありません。
そこで日頃から《自分のほんとうを整理する》トレーニングをおすすめしています。不必要なピースを仕分けするためには、日々ていねいに意図しつづけることが欠かせないからです。
慣れてくると「ほんとうの感覚」でいるのが当たり前になり、少しくらい望まない現実やキツイことが起こってもブレたりせず、外側に解決を探さなくても良い状態になれます。
すると、どこにも力みのない自然で「純度の高い本音」が磨かれてゆくのです。
■自分をご機嫌にすることはエネルギーロスがない
トレーニングをつづけるメリットはたくさんあります。本音とそうじゃないダミーを見極められるのでエネルギーロスがなくなるのです。自分を疑うような思考にならない、というのもうれしい変化です。
こうして自己信頼が深くなるということは、つい出てきてしまっていた「だって」「でも」「どうせ」がなくなってゆきます。
さらに言い訳や諦めグセがなくなり、自然に行動できるので、迷いがなくなり、その時必要な勇気が持てるのです。
繰り返すと、わたしたちは、いつだって、どんなときだって《ご機嫌》でいたい。
実は、思考から出てくるアレがしたい/これが欲しい、という願望はすべて「手段」でしかありません。
なぜなら、人間が欲しているのは体験によるフィーリングだけ、だからです。これはどんな人でも例外はないのです。
たとえば、あなたが
「これがしたい!」と思ったなら、それがしたい、のです。
「ここに行ってこんなことがしたい!」「こうなりたい!」「知りたい!」「観たい!」「伝えたい!」「踊りたい!」「歌いたい!」「聴きたい!」「描きたい!」
それがこたえなのですから、それでいいのです。
純度が高い本音はストレートで迷いがなく、「誰か」が介在しないもの。
ここには「だって~」「~だから」「でも」は本来、余分であることも気づきますよね。
『でも、自分の本音がよくわからないんです……』と言う方もいらっしゃるでしょうか?
大丈夫です。これから見極め方をお伝えします。
ココロを整えいつも自分をご機嫌にすることで、過去の思いこみで本当の望みをブロックしていた!と気づけるかもしれません。それに、
有限な人生、これ以上余計なことでエネルギーを消耗する時間がもったいない
ですよね?
■幸せになる情報だけを選んでいい
行動心理学によると人間が「1日で認識できる意思決定の数は決まっている」そうです。つまり、毎日毎日、思考のリミットがある。だとしたら、なおさら幸せになることだけを選びたいですよね。それに気づきつづけるコツがあります。
シンプルに「やる」と思ったらやればいいし、「行きたい」なら行けばいい。「いま行けない」のなら「行けない」。
「できない」はできない。「できる」はできる。
ミスや失敗や下手なことは「ミスした」「失敗した」「下手だった」。
ニュートラルにそれだけです。ここにいろいろと手垢をつけない。
だれかの価値観で比べたり、目の前の現象をジャッジしないことも大切です。これがわたしのオスメスする “本音に気づきつづける” コツです。
『そうは言っても、本音からズレていないかどうか不安なんです』という人もいらっしゃるかも知れません。
その場合”純度の低い本音っぽいダミー”と間違えている可能性があります。
この「ズレ」にいろいろな疑い・迷い・不安・恐れが入ってきます。
すると、ストレートな感覚ではなく、アレコレと思惑してどんどん無駄なものがくっついてしまいます。
次の章で詳しく述べますが、《意識は想像と現実を区別》できません。
「ズレ」による疑い・迷い・不安・恐れがまるで現実に起こっているような錯覚になってしまい、その結果、脳が「面倒くさい」と判断してしまい、シンプルに行動する力が湧いてきません。
もちろん、ダミーだとしてもそこに良い悪いのジャッジはないのです。
素直なあなたにただ気づけばOK。
そして「じゃあ、どうだったらうれしい?」と自分に投げかけ、教えてもらう。
この状態に慣れてくると無理に自分を奮い立たせたり、キラキラしたり、外部に問題解決の手段を求めることもなくなってゆくでしょう。
■ 純度が低い本音っぽいダミーの見分けかた
では、ここで、自然に意思決定ができるようになるために、本音と本音っぽいものを見極めるポイントを見てみましょう。
このような状態になっていると理解するとわかりやすいですね。
大事なのでもう一度……
ご機嫌の自分でいるということは、“本音に気づきつづける” と意図し、純度の低い本音っぽいものを見極めるスキルを持つこと。
わたしが心理学を普段からおすすめする大きな理由は、この“本音っぽいダミー “を選別して「これは自分には必要ありません」と納得して手放すことができるからです。
それは、あなたの純粋性を守り、心からの幸せが巡る一体感が生まれます。
ご機嫌ーfeel good
すべてが自然で、自分を心から信じることができ
無条件にゆだねられ、本音で語れ、やさしくいられる……
このシンプル過ぎてつい忘れてしまいがちなフィーリング。それは、自分自身への愛そのものなのです。
「幸せにしかならない」情報をじっくり丁寧に吟味してみてください。そして、純度の高いあなたのパズルのピースを持ちつづけて行きましょう。
****
さて、ここからが大事なお話です。どうしてこのような抽象的な感覚にフォーカスするのでしょうか?
ここから、先に述べた《想像と現実を区別できない無意識のしくみ》を解説したいと思います。
■ちょっと想像してみてください
目の前に黄色いレモンがあるとしましょう。
あなたはそれをナイフで半分に切ります。切ったと同時にレモンの酸っぱい香りが部屋じゅうに立ちこめます。その半分にカットしたレモンを自分の口元に持っていきギュッと絞ってみましょう。
こうして書いているわたしも口の中が酸っぱくなって唾が出てきます。
実際にレモンがそこにあるわけでもないのに、それを想像しただけで唾が出てくる……これが、「想像と現実を区別できない」理由です。
そしてもうひとつ、無意識の特徴として「時間」がありません。
つまり、過去・現在・未来も、想像と現実の区別もできないのです。
『どんなことを自分で幸せに感じているのかピンときません』という方がいらっしゃいます。もしそうだったとしても全く問題ありません。誰のなかにも必ず幸せのイメージはあるからです。
レモンの例のように、わたしたちは過去の経験した記憶から想像するという才能があります。あなたの中にある「そのままで心地いい」声をたくさん聴いてあげましょう。
いま、あなたがどんな状態でも関係ありません。ほんとうは、どうなったらうれしいのか?すべてうまくいくとしたらどうするか?
そして、そのときあなたは
どんなところで
どのような人たちと一緒にいたくて
どんな感じのことをしていたくて
どんな気持ちなのか
たっぷりと五感を使ってイメージすることをオススメします。
なぜなら、脳内では時間の概念も本当かどうかも区別しないため、このときイメージしたことを《現在》のあなたの“ご機嫌” だと勘違いしてくれるという現象が起こるからです。
この感覚でいる時間を増やすと、あなただけの幸せの感覚が無意識の領域に届き、「これは本物だ!」と覚えてくれる。
先ほどの存在しないレモンに五感で反応してしまうように「これがあたり前」なあなたを自動化してくれるのです。
■ほんとうに望む幸せだけをパターン化する
ここで自動化という脳内ネットワークについてお話ししますね。
たとえば、わたしたちがなぜ自転車に乗れるかというと、子供の頃に乗れるように練習したからです。そして、それ以来なんども何度も乗っているから。きっとどんな人でも自転車に乗れる理由はほとんど同じパターンのはずです。
「自転車に乗れる」ということは、「自転車に乗る」という記憶が脳内の自動ネットワークを動かしてくれているからです。
初めて乗れた日は、転んだりハンドルがグラグラしたり、脳内ネットワークはぎこちなく動いていたかもしれません。
ですが、頻繁に乗れば乗るほど自動化は強化されます。
やがて、「まずはペダルを踏んで、左足を伸ばして……」などと意識しなくても、ほぼ無意識で複雑な動きを出来るようになります。
そう。一連の動きは、自転車に乗っているとき、ほぼ無意識に自動で行われるようになるわけです。つまり、自転車にまたがるということがスイッチになり、それをきっかけにして全自動でカラダ全体が動くようになるということです。
あなたが幸せについてイメージしていたらどうでしょうか?
そのとき感じた感覚を多く持てば持つほど、そのイメージが鮮明に記憶され、あなたの世界ではそれがあたり前になるという脳内ネットワークが働いてくれるのです。
そして、このような無意識の反応はわたしたちの日常の9割以上を占めています。毎日の行動を観察してみたらわかると思いますが、わたしもあなたも、行動と思考のほとんどは無意識で行っています。
人生は選択の連続です。その選択の基準を見極め、自分にとって本当の幸せをイメージする時間を増やすと、自然にパターン化という嬉しいしくみなのです。
とはいえ、それにはどんな自分でも戦わない素直さは大切な要素です。
もうひとつ「もう幸せにしかならない」と心に決めることも忘れないでください。
■存在を探求するには潜在意識を活用しよう
幸せのしくみ、おわかりいただけたでしょうか。
では、このパズルが描けると、なにが起こると思いますか?
もちろんここにも正解はないのですが、あえてわたしからは、”純度の低い本音っぽいもの” があなたのもとを去ってゆくとお伝えします。
それは環境であったり人であったりもします。もちろんわたしにもこの現象はあります。
リアルに人が離れてゆくこともありますし、転勤や、交通に支障が出たり、連絡が取れなくなったり、納品が遅くなったりいつもの予約ができなかったり企画が流れたりすることもあります。
自然にそのように流れて、あなたにとって「ほんとう」だけを残すよう、そのほかの情報はピシャリと斬ってくれる、そんなイメージです。
そんなとき、わたしはこう考えるのです。
その人が“当たり前と思っていることがその人生を動かしている”と。
自分はどのような人間で、どんな価値観を持ち、どんな前提で生きているのか。
そこに気づいて積極的にならなくては、いくら表面的な行動を変えても自分の幸せにたどりつくことはできないのだということも。
だからこそ、自分の本質がより美しく、より深い歓びを感じるために必要なことを選んでいたい。
日々その瞬間、瞬間、自分はどういう存在でどんな人生を生きたいのか。そして本質的にはどういう人間なのか。
ここへフォーカスし自ら創ってゆくこと。
それが潜在意識を有効に活用することです。
■かけがえのない存在との一体感
冒頭で述べた『もっと幸せになりたい』という多くの人の願いの本質は、あるがままの存在でありたい、そう翻訳することができます。
すべてが自然で、自分を心から信じることができ、無条件にゆだねられ、本音で語れ、やさしくいられる、そんな自由さ。生きる喜びを味わい、わかちあえる関係性。違いが許しあえる環境。
その自分にとことん素直になり「もう幸せにしかならない」と心に決めると、いま必要なパズルのピースが集まってくる、ということをお伝えしてきました。
こうして自分の幸せに抵抗しないと決めた結果、忘れかけていたような秘めた想いや情熱やひらめきが人生に飛び込んでくるのがわかると思います。
子供のようなピュアな状態のまま、歓びから行動を起こすようになる、そんな風に自分を解放することができるかもしれません。
同時に、ゆらぎも生まれます。
わたしたちは、日々いろいろな情報に惑わされ、ノイズもたくさんあるけれど、そうやっていろいろ経験できることはどれだけありがたいか。
目の前の出来事には意味はなく、それをどう受けとっているかという深いレベルの自分につながっているということも。
ココロを整えるメリットとは、ふだんなら見落としているような現実のあらゆることをニュートラルに観察し、イキイキと生きるための知恵が芽生えることです。
それは自分というかけがえのない存在との一体感を感じることなのかも知れません。
ああ、そうか、わたしってこんなことに感動するのか。
こんな感覚になれるんだ。ああ、今でもこんなエネルギーが残ってる。
そう気づかせて貰うときこそ、わたしたちは「ほんとうの生きる幸せ」を実感し、心から感謝できるのではないでしょうか。
あなたの幸せとはなんでしょうか?
あなたの見たい世界とはどんなものですか?
わたしは、わたしという存在から表現し、それを受取ってくださったすべての人たちが、“自分自身を尊く愛しい存在だと思えるような人生”へつなげていきたいと思っています。
それは生きる幸せというより、朝陽のようにすがすがしく、風のように透明で軽やかで、それぞれのいまこの瞬間を生きているからこそ調和した世界。
そしていつか「COCOPOIROOM」を通して、自分で自分の価値観を決定する幸せのパズルを完成させる人がたくさん増えてゆくことを願い、このページをお読みの方が「もう幸せにしかならない」と決めてくださっているのを信じて、ここで筆を置きたいと思います。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
このコラムが、あなたのパズルのピースとなりますよう愛と感謝と祈りをこめて。
ボク自身の経験から「生きづらさ」を軽くする考え方や方法を発信しています。共感してくれる仲間を集めています!大切な仲間たちと気軽に集まれる居場所「MITSUKI HOUSE」実現を目指しています!!