新宿方丈記・44「どこかで半分失くしたら」
久しぶりに美容師さんに髪を切ってもらいながら、耳が出るとピアスをしたくなりますねという話になった。確かに。でもピアス、よく失くすんですよ。そう、片方だけね。気に入ったやつに限って何処か行っちゃうの。そうそう。仕方ないから左右違うの着けたりして。そんなよくある話をして笑っていたのだけれど、引き出しの中の一つだけになったピアスたちを見ていて思うのは、失われた片割れの行方である。何かの拍子に思いがけないところから出てくることもあるけれど、大抵はもう二度と出会えない。ピアスに限らず、ペアでセットのものたちって、以外に複雑だ。相方をなくしても単独で活躍するものもあるけれど、それは本来の意味とは少し離れてしまう。ちょっとばかし切ないではないか。
中学生の頃にユーミンの「真珠のピアス」を聴いて、意味もなく「いつか絶対にピアス、あけよう」と思った。イヤリングじゃなくてピアスじゃなきゃいけない理由が、少なくともあの曲にはあると思う。でも少し大人になってから聴くと、「女って怖い」そして「怖いけどその気持ちわかる」に変わっていく。「真珠のピアス」に出てくるピアスの片割れは、生き別れになって紛れもなく大役を果たそうとしていた。なんともやりきれない歌詞なのだけれど、ちょっとだけカッコいいと思った。そしてピアスの穴はあけたけれど、今のところ私の人生で、真珠のピアスの出番はない。幸いなことに。生き別れになったピアスは、街中のどこかで落としたりしたのなら、もう間違いなく雑踏で踏まれて蹴られて、最後は側溝の中でゴミや落ち葉とともに朽ちていくんだろうな。どこかで子供に拾われて、ビー玉やセミの抜け殻なんかと一緒に箱にしまわれてたりしたら、幸せな方かもしれないね。せっかく髪を切ったから、また、新しいピアス、買いに行こうかな。生き別れにならないよう、最大限の努力はするからさ。