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イギリス帰り・カルチャーショックリハビリ日記

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1998年から2002年までイギリスに住んでいた私。その翌年に書かれたカルチャーショックリハビリ日記を中心に、ときどき思い出話を追加します。
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#イギリス

もしも私が再びイギリスを訪れることができたなら

最後の渡英は2014年、ケイト・ブッシュのライブ参戦を目的としたものだった。 しかし、交通費をケチって歩きすぎて、足の裏はマメが潰れて血みどろ。その日は2万歩歩いていた。 それに、著しい体力の衰えも感じた。当時40代半ば。テムズ川を眺めながら「もうこれで最後かも…」と思ってしまった。 いやん、そんなの寂しい! ということで、昼食後満腹になり、まどろみつつも心の赴くまま、いつ実行されるかはわからないイギリス旅行プランを書いてみることにしました。 最低でも半年私は日本国籍だ

ロンドンのレコード屋で聞いたビタースウィートなシンフォニーの話

※改題しました 何度もここでお話している通り、わたしはイギリスが大好きです。 1989年に語学研修ツアーで訪れて以来病みつきになり、その後2回観光で渡英した後、学生としてビザをとって、1998年から4年間英国に滞在しました。 ですが、今回のお話は、1997年に観光で渡英したときのことなんです。 わたしはとあるレコード屋さんに赴きました。 ラフトレード(Rough Trade)といえば、インディーズ音楽ファンなら「ぬおおおおお!」と反応すること間違いなしの、伝説のレコード

「おはよう、ロンドン!」~マズウェル・ヒルで暮らした一年間~

今から軽く20年は昔のこと、ギリギリ20代だった私は、学生としてイギリスで暮らし始めた。 最初の3週間はロンドン南部の友人宅に居候していたが、北部の語学学校近くに部屋を借りるつもりでいろいろと探していた。 インターネットはあったけれど、今みたいに普及もしていなくて、情報源は日本語の無料情報誌、英語の情報誌、日本食料品店などに貼られた「部屋貸します」のクラシファイド広告くらい。 (日本人は部屋をきれいに使うから、などという理由で好んでいた大家さんも多かったという) その

イギリスのテレビを100倍楽しむ方法

※こちらの文章は18年前に書かれたものらしいです。というのも、ファイルが保存された日付だけが頼りなので。 今ではかなり状況が変わっていると思われますが、当時の空気がちょっとだけ味わえますので、よかったらどうぞ。誤字脱字他気に食わないところを無視して掲載しています。 -- あなたはテレビのない生活を想像したことがありますか? 私はテレビのない生活を体験したことがあります。しかもイギリスに来てから。たった1ヶ月弱でしたが、それはそれはもう気が狂うほどの1ヶ月弱でした。それだけ

20年前の今日(カルチャーショックリハビリ日記番外編)

留学のためイギリスに渡った日からちょうど20年の今日。 なぜこの日に行くことを決めたのかというと、実は占いが決め手だった。 同僚にホロスコープの読める年配男性がいて、見てもらったところ、その日がいいということだったので、そうすることにしたのだ。 結局それが良かったのかどうかはわからない。 けど、私の人生を180度変えたのはこの日だった。 というわけで、記念に書き記していた当時の日記をここでババーンと開帳します。 個人情報が特定される箇所以外は手を入れていません。 2

カルチャーショックリハビリ日記 最終回(未発表)

旅行はする前が一番楽しい、と言う。計画中はあれこれと楽しいことを思い浮かべているが、実際は計画どおりにうまくいかなかったりして「こんなはずじゃなかったのに」とがっかりすることはよくあるものだ。もちろん計画は大切なことで、旅を円滑に、目的を果たすべく進めるためにはなくてはならないものである。 逆に、予想もしていなかったことが起こることだってある。偶然の出会いが素晴らしい旅にしてくれることだってあるし、最悪のアクシデントとして一生を左右することだってありうるのだ。 私はイギリ

カルチャーショックリハビリ日記その13 「20代に敬語を使う30代」(2004)

今さらながら明けましておめでとうございます。今年年女となりましたポル子でございます。大変御無沙汰しておりました。 札幌は街中が雪に埋もれ、道はツルツル、私も毎朝踊るように歩きながら通勤する日々でございます。この寒さにはいい加減慣れてきた、というか、私は元々北海道の人間ではないか!と自分にツッコミを入れてみたところから始めましょうか… 私は非常に口の悪い人間だと思います。敬語を使うのが元々あまり得意ではありません。だのに10年以上販売をしていたし、今なんてコールセンター勤務