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ステラ・ドネリー『Flood』

鳥はなぜ群れになって生きるの?それはそうした方が生きるのに有利だから。群れることで「目」が増えるんだ。そうすると外敵を素早く発見することが出来るから、いざというとき逃げやすくなる。逆に食べ物を得るのだって集団でいた方が効率が良い。魚を追い詰めるのも集団でいた方が上手くいくでしょう。それに、山手線一周なんて比じゃないほど長い距離を飛ぶなんて、疲れちゃうに決まってるよね。鳥たちがV字になって飛ぶのは、先頭の鳥が羽ばたくことで発生する気流を利用して後続の鳥が少し楽をするっていう理由もあるんだ。先頭の鳥が疲れたら先頭を交代する。頑張ったぶん楽をさせてもらうんだね。彼らはそうやって助け合いながら前に進んでいる。他にもさまざま理由はあるんだろうけど、要するに群れを成すっていうのは、個体としての生存と種としての生存の可能性を上げるためなんだね。1人で生きるのは不可能じゃないけど、群れを成した方が上手く生きていける。その分衝突することもあるかもしれないけど、大自然で生き延びていくという共通の――それでいて最低限で最大公約数の――目的のためだけなら我慢できるのかも。人間の場合はどうだろう?人間の場合は群れるとどうしても「社会」が生まれてしまうよね。生き延びることだけが目的なら、群れることで上手くいくかもしれないけど、残念ながらそうはいかない。助け合い以上の、より良い環境や関係性をどうしたって求めてしまう。生き延びるためだけなら必要のないものであってもね。一人で生きるのは簡単だけど、簡単じゃない。必ず誰かが出し抜いて、みんなが剝き出しの競争原理に晒されて、勝者も敗者も擦り減っていく。だから群れたくないし、埋もれたくない。言いたいことは伝わらないし、相互理解の多くは幻想だ。だから、出来るだけ関わりを減らしたい。
 いや、正確には違うかも。私たちはいっそ群れたいし、埋もれたい。出来るだけ大いなる何かの一部でありたい。信頼のおける人が数人いれば良い。私の生存のために、私の必要な豊かさを最小限の努力で獲得したい。それがどんなに平凡であっても構わない。群れていようが埋もれていようが関係ない。目立たないで済むならその方が良い。そうした方が生きるのに有利であるのならね。

オーストラリアのシンガーソングライター、ステラ・ドネリーの2ndアルバム『Flood』のジャケット写真は、ムネアカセイタカシギ(Banded Stilt)の群れが一面を埋め尽くしている。一瞬ギョッとするようなこの写真は、映っている鳥たち全員が同じ姿をしているように見えるが、一人一人(一羽一羽?)ハッキリと違っている。群れとして浮かび上がる姿には統一感があるが、向いてる方向も黒と白の割合も、何もかも違う。このアルバムに収められた楽曲群も同様で、これまでのインディーポップ路線を踏まえた楽曲よりもピアノを主体としたバロックポップを志向するような統一感がありながら、一つ一つのモチーフは明確に異なる。
 具体的に言うならば、M1「Lungs」での跳ねたビートに渦巻いたフレーズを放つエレキギター、M2「How Was Your Day?」の快活で溌溂としたサウンド、それらのステラ・ドネリーらしさ全開な歌い回しは前作のスタイルを踏襲したものだが、M3「Restricted Account」からは様子が変わる。M2の終盤のギターノイズを、M3の冒頭ではアンビエント感のある逆回転のようなサウンドでシームレスに引き継ぐのだ。ここが1stアルバムと2ndアルバムの結節点だと言っていいだろう。同時にM3で幕引きに使われる楽器はギターではなくフリューゲル・ホーンである点も指摘したい。このサウンドを支えるのは、今年共演歴もあるMethyl EthelJake WebbCamp Copeの新作も担当したAnna Lavertyである。ギターという身近な楽器を離れ、ピアノによるソングライティングに挑み、適切なプロデューサー陣と組むことで、ステラ・ドネリーは新境地に至ったのだ。
 続くM4「Underwater」は、ドネリーが家庭内暴力の被害を受けている女性や子どもたちの支援施設のアンバサダーを務めた際に教わった、「虐待しているパートナーから逃れるのにかかる平均試行回数は7回」という統計的事実が歌詞に綴られている。「ひ孫の世代もきっと同じ風景を見るんだろうね」と歌うM10「Morning Silence」においても同様に、前作『Beware of the Dogs』や2018年のEP『Thrush Metal』で扱われた「有害な男性性」というテーマが歌われている。
 M1「Lungs」、M2「How Was Your Day?」、M5「Medals」、M11「Cold」は、恋人をある意味突き放すような、関係性の緊張した状況が伝わってくる内容だ。特にM2の「今日はどうだった?」という問いかけは、それ自体は相手を思いやるような優しい問いかけとして受け取れるが、前後の「打ち明け話をするときだよ」、「もうダメな気がするね」というラインからは、切羽詰まったただならぬ気配を感じさせる(それをこんな明るい曲にしてしまうのが恐ろしい!)。
 それ以外にも本作には様々な“誤読”を誘発させるような歌詞が多く含まれている。例えば本作で最も重苦しいムードに包まれたM9「Oh My My My」は、愛する人がこの世からいなくなってしまった悲痛な感情が歌われている。一見するとパートナーのことかと読めるが、実はドネリーの亡くなってしまった祖母についての歌らしい。また、M6「Move Me」も同様に破綻しかけた恋愛についての歌に見えるが、これはパーキンソン病と診断された母へのラブソングらしい。さらに言えば前述した「鍵アカ」と題されたM3「Restricted Account」は、本作では若干浮いているとさえ感じられるほど甘いラブソングだが、インスタで見知らぬ人から送られてくる“献身的な”メッセージが元になっているようだ。それを踏まえると、繰り返される「I’ll be your lover」には少しゾッとさせられる。

このように、本作は歌詞から直接的に受ける印象と実際の内容が乖離した楽曲が多いと言える。上述した3曲は(歌詞をよく読めばヒントは隠されているとはいえ)、インタビュー記事等を読まずに正確にドネリーの意図を汲み取ることは難しいだろう。しかし、それの何が問題だというのだろう?作品とは、それが世に出た時点で「受け手側のもの」だ。受け手が触れることによってそれは「作品」になるのである。そこに解釈の「不正解」はあったとしても――いや、究極的にはないのだが――、「正解」は存在しない。あるのはその解釈がどれくらい妥当であるか、その度合いでしかない。つまり作者による「これは○○についての作品だ」という発言も、作品の前では受け手の解釈と「等価」である。要は、そういう読み方も出来るよね、くらいの受け止め方になるということだ。
 M11「Cold」の終盤は、今年のリリース作の中でも最も美しく高揚させられる時間である。この「Cold」は「寒い」「冷たい」ではなく「冷酷」という意味で用いられている。「骨の髄まで冷酷」な私(とあなた?)の関係は「冷え」切っていて、もう元に戻りそうもない。そんな切なさを暖かく、それでいて爽快なサウンドで歌い上げてしまう。

群れずに生きていくことは不可能に近いけれど、誰と一緒に生きたいか、あるいはそれでも一人で生きていくのか、私たちは選ぶことが出来る。だから次のようにドネリーは叫ぶのだ。「思い通りにならないものを恐れ」ながらも。


「あなたは私の愛を受け止められるような器じゃない!」

【参考】

「How Was Your Day?」についてはこちらの記事でも執筆しています。

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