一見無駄に思えること
40代になってから、「自分が何を大切に生きていくのか」
そんなことをよく考えるようになった。
今日はそれについて思うことがあったので、書いてみる。
私の勤める職場は全員で7人しか従業員がいない、極めて小さな会社。
なので、オフィスのお掃除をお願いしているのは業者さんではなく、普通に家などの掃除をしているメキシコ系のおばちゃん姉妹の二人組である。
おばちゃんたちは、私が入社したときにはすでにこのオフィスの掃除に来てたから、少なくとも私とは6年のお付き合い。火曜日と金曜日の朝、だいたい8時から10時くらいの時間帯にふらりと(時間はきっちり決まっていない)やってきて、簡単にトイレ、キッチンの掃除、掃除機でオフィス全体の掃除、私たち従業員一人一人にデスクの拭き掃除をしてほしいか?と尋ね、30分ほどで掃除を終わらせて帰っていく。
おばちゃんたちが帰ったあと、トイレに入るとトイレットペーパーがリボン結びになってた。
実際はリボンが写真の90度回転して縦向きになってたけど。
これが初めてではなくて、おばちゃん、この6年のうちにほんの数回だけどこれやったことある。なんで、今日やろうと思ったのかは不明・・・(笑)。
なに、今日おばちゃんそういう気分だったのかな。
ちょっとほっこり。
ホテルのお掃除だとトイレットペーパーの端をきれいに畳んでみたり、タオルをくるくると巻いて畳んで動物に見立ててみたりっての、どこかでみたことあるけど、そういったお客様を喜ばせてなんぼみたいなシチュエーションでもないし、このオフィスで女子トイレ使ってるの私ひとりしかいないし、私を喜ばせたい!なんて思ってやってるわけでもないだろうし、このリボン、無駄としか思えないけど・・・。
でもリボンにしたかったから、リボン作ったんだよね、おばちゃん。
かわいい・・・(笑)。
リボンなんか作ったって何の役にも立たないのに、リボン作ってったんだなあ。目的達成とか、効率とかばかり考えて、もっともっと頑張らなきゃみたいな思考で頭がいっぱいになりがちだけど、でもこういった一見無駄に思えることがなんか大事な気がしてきた。大事にしていきたい。
いつだって、何かを生み出すのは無駄なことしてみた結果なんじゃないか?
友達を作るときだって、全然やる必要なんてなかったのに、ちょっと声かけてみたときだったり、やってあげる必要なんてなかったことをちょっとしてあげたのがきっかけだったり、そういう一見無駄に思えることをやってみたときなんじゃないか?
この夏、日本へ家族で一時帰国していたときに、必要なんて全くないのに、見ず知らずの通りすがりの人が、なんか知らないけどやってくれたことに私たち家族が本当に助けられたことがあった。
都内滞在中、豊洲市場の見学に行きたくて地下鉄に乗っていたとき、まだ乗り換えの駅じゃない、いくつか手前の駅で電車がその駅止まりとなり、ホーム向かいの電車へ乗り換えるアナウンスが流れたとき、慌ててホームへ降りたものの、向かいの電車に飛び乗って間違っていないか、私たちは迷ってまごついていた。そのとき、年配の女性が「どこまで行きたいんですか?」と声をかけてくれた。
見ず知らずの家族4人連れが地下鉄のホームでオロオロしているところへ、わざわざ声をかけなければならない必要なんてないのに、その女性は私たちに声を掛けてくれた。
「これに乗って大丈夫ですから」
「あ、すみません。ありがとうございます!」
それで私たちは乗りそびれることなく、目的地へ向かう地下鉄に乗れた。
乗り込んだあとにはもうその女性がどこへ行ったのか、私はわからなくなっていた。それなのに、私たちが行きたいと答えた目的の駅に着いたときに、同じ女性が「(降りるの)この駅ですよ」と再び電車内で声を掛けてくれたのだ。
「あ、ありがとうございます!」
なんと、降りる駅までちゃんと声をかけてくれるなんて。
顔も名前も覚えてないし、この先も会うことのない人だけど、親切にしてもらった驚きと温かい気持ちはいつまでも忘れない。
その後、無事、豊洲市場の最寄り駅までついた後にも、行ってみたいと思っていた有名なお寿司屋さんの場所にたどり着くまで四苦八苦。
GPSの指す方向へ歩いて行ったけれど、お店まであと数十メートルの市場の入り口まで来たとき、市場へは一般人の入場は禁止だと、警備員さんに追い返される(笑)。
どうやら地上レベルからは市場内へ一般人の立ち入りは禁止されており、
お店へはたどり着けないらしい。駅改札のあった歩道橋ずたいに移動してからエレベーターか階段で地上へ降りないといけないらしいのだが、GPSはそんなことお構いなしで立ち入り禁止の最短ルートを示したまま。猛暑の中、歩道橋を登ったり下りたり、体力の消耗も激しく、あきらめてどこか適当な店に入ろうかと頭をよぎる。
そんなとき、通りすがりの中年の男性が「○○(お店の名前)ですか?」
「はい、そうです。」
「じゃあ、ここを左側にずっと歩いて行って、エレベーターか階段で下に降りたらすぐありますよ」
「あ、すみません。ありがとうございます!!」
なんで私たちが考えてることわかったの??
すごい、親切!!
私たち家族4人、市場の入り口で警備の人に追い返されてるし、明らかに迷ってる観光客だけど(笑)、わざわざ声かけて教えてくれるなんて、親切だな。
そんなことする必要なんてまったくなかったのに、わざわざ声をかけて助けてくれるなんて、本当にすごい。
必要なんてまったくなかったのにすることはすごい。
逆に必要なことだけをする人生なんて味気なくて恐ろしいかも。
別に必要じゃないのに、なんかやっちゃったとか、別に必要じゃないのになんかわからんけどやってみた、みたいなことこそ人生に面白く彩を添えてくれたり、いろいろな深みを持たせてくれるのかも。
声をかけなくても用事は済んだのに、話しかけてくれた、とか
別に必要はなかったけど、ふっと動いてくれたとか、一見無駄に思えることをしたときに、何かは生まれるんだ。
お掃除のおばちゃんだって、別にやらなくてもいいのに、トイレットペーパーをリボンにしていった。
なんの変哲のない、変わらない日常を淡々と過ごしているように見えても、たまにトイレットペーパーをリボンになんかしちゃって、そんなつもりもないのに、私の心を一瞬ほっこりとさせたりしながら、おばちゃんはおばちゃんの命を紡いているんだな。
効率ばっかり考えていないで、たまには無駄なことしよう。
無駄なことこそ、何か面白いものを私の日常に運んで来てくれるのかもしれない。