嬉しいことと、心が喜ぶことを体験させてもらっている
自分の経験や想いを言葉で表現したくて
このnoteを書いているし
目の前の人の価値や可能性を見出すことが好きすぎて、#YOURWORKを通して色んな方とお話をしている。
私がただやりたくてやっているのに、読んでくれる方がいること、わざわざご連絡いただけることが嬉しくて仕方がなくて。
だからこそ、来てくれた方の力になりたい!と思う気持ちが強くなってしまって「私はちゃんと価値を提供できているのかな…」と不安になることもあったりするのだけど。
嬉しいこと
先日、#YOURWORKでご連絡いただいた方から
私の言葉が好きだと嬉しすぎる感想をいただいた。
自分でも最近まで気づかなかったのだけど
私は言葉に対して
かなりこだわりがあるらしい。
自分が感じたことを純度の高いまま
相手に届けたいからこそ
言葉に想いを乗せるということを
大切にしているんだと思う。
だからこそこうして受け取ってくれてる方がいて
わざわざそれを伝えてくれて。
なんてありがたいんだろうって思った。
だけど、なんだろう??
すっっっっごく嬉しいはずなのに
もっともっと嬉しいと思える瞬間って
他にもあるな…とも思った。
こんなに嬉しいことを言ってもらえるのに
どうしてそれが「最高のうれしさ」では
ないんだろうって不思議に感じた。
それ以上に、心が喜ぶこと
じゃあ自分が「嬉しすぎる…;;」って
思う時ってなんだろうって考えてみた。
思いついたのは、自分との対話がきっかけで
相手に変化や変容が起きたとき。
純粋なありのままの相手の姿が見れたとき。
本人でも気づけなかった本音を知ることができたり、恐れを越えて本当は行きたかった方向へと舵をきる姿を見れたとき。
自分が関わることで、相手本来の在り方・生き方が
始まっていくきっかけになれた時だなと思った。
このことに気がついた瞬間
「あ、本当に愛は与えることなんだ…」と
私は頭じゃなくて全身で理解した。
人が心から嬉しいと思うこと、喜びを感じることは、自分の与えたものが受け取ってもらえたときなんだなって。
誰かに愛されることも
何かをしてもらえることも
もちろん嬉しいこと。
だけどそれ以上に、自分が差し出した愛を受け取ってもらえることや、自分のやったことが相手の力になったり、喜んでもらえることの方がもっともっと嬉しいことなんだと思った。
与えあえる関係こそ
両思いでいることが大切なのは
恋愛に限らず、仕事だってそうで。
人も組織も
いろんな価値観や考え方を持っている。
だからと言って、自分が相手に合わせて形を変えるのではなくて、必要なのは自分らしさも人生もちゃんと大切にすること。相手らしさも相手の人生も尊重すること。
その上で、お互いを大事にしあえる関係こそが
愛のある関係なんだと思う。
自分が愛したいものを愛す生き方がしたい。
消耗ではなくて
”嬉しい!”の循環の中で生きたい。
愛は与えることだけど
そのためにはまわりまわって
受け取ることから始まるのだと思った。
自分がやりたいことで
誰かの力になりたくてやっていることなのに
結果、私の方がみんなにたくさん
与えてもらっていることに気がついたから。
***
このnoteを通して、#YOURWORKを通して
関わってくださる方からの嬉しい言葉を
私はもっと思いっきり受け取っていきたい。
受け取った分、もっともっと私だからこそ
できることを届けていけると思ったから。
一緒に"嬉しい!"を
つくっていける関係で在りたいと思う。