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ピラミッド、下から撮るか横から撮るか?:ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン写真展

シャネル・ネクサス・ホールで開催中の
《GEORGE HOYNINGE ĦUENE  Master of elegant Simplicity
ジョージ ホイニンゲン=ヒューン 写真展》
を見た。
写真撮影可能であったので、会場内で撮影した作品画像と、帰宅後に調べた内容を交えつつ書いてみたい。
(うかうかしていたら会期が今週末までになってしまった)


まずは作家について紹介したい。
ホイニンゲン=ヒューンはガブリエル・シャネルと同時代の写真家である。
狂騒の20年代を象徴するかのようなプロフィールを展示会の公式サイトから引用する。

スタジオで照明を操作するホイニンゲン=ヒューン。

ジョージ ホイニンゲン=ヒューン(1900-1968)
1900年ロシア、サンクトペテルブルク生まれ。10代の頃、ロシア革命の際にロンドンへと逃れ、1920年パリに移住。1926年から『ヴォーグ』誌と「ヴァニテイ・フェア』誌のチーフフォトグラファーとしてファッション写真、ポートレートを発表。1935年に渡米し、「ハーパーズバザー』誌に移籍。1947年にはハリウッドに移り、アートセンタースクールにて教鞭をとる傍ら、映画業界でも活躍した。1968年逝去。その作品はゲッティ美術館、ニューヨーク近代美術館、ポンピドゥー・センターなど、世界有数のコレクションに収蔵されている。

https://nexushall.chanel.com/program/2024/ghh/#ARTIST

スキャパレリのビーチウェア、1928年

本展の出品作は30年代に撮影されたファッション写真と有名人のポートレートが主である。

1920年代から1940年代の表象文化は蠱惑的な光線を放ってやむことがない。
それは世界が広くもあり狭くもあった最後の時代が醸造し得た絶佳であって、今となっては再現は不可能であり、だからこそ一層輝かしく感じられる。

そんな時代の流行を最先端の場でキャッチし、新たに創造もしていた1人がホイニンゲン=ヒューンであった。
彼の被写体となったチャーリー・チャップリン、サルバドル・ダリ、ジョゼフィン・ベイカー、ゲイリー・クーパー、マレーネ・ディートリッヒらと同じく、当時の流行が文化史の一部となった現代においてなお、彼の写真は見るものの心を掴む。

イヴニンググローブを着けたアグネタ・フィッシャー、1931年


オーガスタ・バーナードのイヴニングドレスを着たトト・クープマン、1934年

いかにも上質で高級で手触りの良さそうな布地と引き立てあうモデルの肌の質感は言うまでもなく、まばゆいきらめきと深い陰影に富んだ時代の空気感までもが、モノクロ写真にみごとに閉じ込められている。
また驚くべきことに、雑誌サイズで見ることを想定されていたはずなのにも関わらず、はるかに大きくプリントされた画面は心地よい緊張感を失わない。
新聞ほどの大きさもある作品の前に立てば、視界の隅々まで丹念に作り込まれ調えられた非日常の物語に快く浸ることができる。その物語はあくまでも断片的であるものの、色彩を想像させる豊かな階調と明快にして刺激的な構図で語られるため、うっとりした気分でいつまでも眺めてしまう。

親しい友人でありハリウッドにおける伝説的俳優キャサリン・ヘプバーン評するところのホイニンゲン=ヒューンのテイスト、「質感、ライン、シンプリシティ、つまり古典的な美しさ」がいかんなく発揮されていると言える。

ベルベットスーツ姿のココ・シャネル、1939年

黒ベルベットのジャケットと襞襟というクラシックな衣装に身を包んだ様子は16ー17世紀のオランダ絵画を彷彿させる。あるいは世紀末のスター、サラ・ベルナール(1844 ー 1923)演じるハムレットも連想できるかもしれない。
会場で配布されている解説文によると、16世紀の画家フランソワ・クルーエが描いたフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシス(1519 ー 1589)の肖像に酷似しているとされる。

«Portrait de Catherine de Médicis (1519-1589), reine de France»,Musée Carnavalet.
ウィキメディア・コモンズより

挑みかかるような眼差しでこちらを射抜くように見つめるシャネルの姿は、口元に忍耐強さを帯び泰然とした印象を抱かせる喪服姿の王母とは対照的にも見える。
いっぽうで、この写真がハーパーズ・バザー誌に掲載された1939年といえば、第二次大戦が始まった年である。それまでに雇用者との間で労働問題を経験するなどしたシャネルは、販売店(ブティック)こそ残したものの、作業場(アトリエ)を閉鎖してしまったという。
自身の才覚を発揮し、身を捧げて盛り立てた「王国」の黄昏と行末を見つめているとすれば、服装や表情といった視覚的な要因だけではない部分で、2人をなぞらえたくなるのかもしれない。



情報失念。ぬかった


さて、数は少なく画面も小さくはなるものの見逃せないのが、旅先で撮影した写真である。
旅行先での風景にも写真家の審美眼は鋭く向けられる。
屋外ならではの広い空間と地中海の強い日差しを活かし、欧米の街並みとは全く異なる眺めを切り取るやり方は、屋内スタジオで巧みに光源を操ってきた確かな力量を感じさせる。
考えてみてほしい。
エジプトを訪れ、ギザの三大ピラミッドを写真に収めるとしたら。
あなたならどう撮るだろうか?



エジプト、ギザ、クフ王のピラミッドにて、1941年

ホイニンゲン=ヒューンはこんなふうに撮った。

どうやら彼はピラミッドの外壁に登攀し、地上を見下ろしているらしい。

ここにはピラミッドそのものは映っていない。
しかし、ピラミッドを訪れたという体験が焼き付けられている。
人間の思い込みを巧みに利用したある種の映画的なテクニックであり、こども騙しだ、と感じる人もいるだろう。はたまた、写真とは所詮そういうもので、物事の真実など決して写しはしない、と言う人もいるだろう。
しかし、すくなくともこれまで、こんなふうにピラミッドの姿をとらえた人間はいなかったのだ。たぶん。

古代エジプトにおける太陽神信仰と王の結びつきは、今日に至るまで連綿と伝え続けられている。
ギザ台地に照る太陽光の苛烈さ、それを吸い込んで発散するかのような人々の活気、全てを受け止めて流れるナイル河の恵みを目の当たりにした時。ふと、神話が、自分の足元と地続きになっているように錯覚するのも頷ける。
ピラミッドの前に立ってみて、そんな気がしたのを思い出す。
ホイニンゲン=ヒューンは、太陽神となり大空を航行するクフ王が見下ろす風景を写したかったのかもしれない。

ピラミッドにある4面のうち、どの斜面をどの程度登ったのかも気になるところである。
いつか調べて、別の記事にまとめてみたい。


展覧会情報

Master of Elegant Simplicity
ジョージ ホイニンゲン=ヒューン写真展
公式HP

2024.2.7 WED - 3.31 SUN
11:00 - 19:00(最終入場18:30)
会期中無休・予約不要・ 入場無料

CHANEL NEXUS HALL
〒104-0061
東京都中央区銀座3-5-3
シャネル銀座ビルディング4階

会場の様子は公式HP内でも見ることができる。(動画あり)

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