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曾野綾子『部族虐殺』

アフリカの「ルワンダの悲劇」は

1997年4月6日から7月4日までの約百日間に起きた。

その間に百万人以上の人々が殺されたのである。

昔から農耕民族であったフツ族と、牧畜民であったツチ族とがいた。

この部族虐殺は部族の対立感情が爆発したものではなく、

完全に

「行政、軍部、政治の最高機関からの指令のよって行われたものだ」と

「アフリカの真相」社出版の

『ルワンダ そんなにイノセントではない 女性が殺人者になる時』

は書いていると

曽野綾子が書いている。

・・・

「ルワンダの虐殺の証言は分厚いものになる。

そしてその結果、間違いなく語ることができるのは、

すべての人々は、その受けた教育も、社会的立場も、貧富の差もなく、

誰もがいともたやすく殺す側に廻り、

そのような結果について、

必ず素早く、

弁解の言葉を用意することができるということだ。


私もその場にいたらおそらく同じことをするだろう。

殺されるよりは、

一足早く殺す側に廻って、自分が殺されるのを防ごうとするに違いない。

一旦、その狂気を実行に移せば、あとは惰性でどこまでもやって行ける。

その間にキリスト教者として、

自分がそうせざるを得なかった理由を、

神は十分にご存じだった、

という心理を作り上げていくのである。


自分が死んでも、他人を救うことができる人など数少ない。

ルワンダの人々は、そうしなかった人を極悪人として告発したが、

私はそれは普通の人だと感じている。」

・・・

「私たちの唱える口先だけの『平和』など、

そのような世界では全く通用しないだろう。

多分、平和のためには、

もっと多くの血が流されることが必要なのかもしれない。

(人間が当事者として学ぶためには多くの事柄が必要となるということ)

希望としては教育が普及して、

人間が自分自身の人生以外の、

他人の生涯も思いやれることができるようになることと、

経済的に豊かになることだけだろう。


アフリカは常に偉大な教師だが、

ルワンダの悲劇は、

私たちにぞっとするような自画像を突きつきけたのである。」

・・・

この本の題名になっている

『部族虐殺』

ルワンダの悲劇についての情報を集め

その現地にも曾野綾子が行って調べて書いた文章。

現実に起きたという現状を事細かに書き記している。

・・・

普通の人がいともたやすく人を殺す側になるのは

自分が殺されるのを防ぐため。

究極の場面で

自分の命よりも他人の命を優先できる人は

非常に少ないと思う。

だから

曾野綾子自身も

殺す側に転じると思うと書いている。

自己防衛機能は強力だからだ。

そして

自分自身の精神を守るために

そうしなければならなかったという理由を作り上げてゆくのだ。

・・・

誰もがそうなるという。

そうだろう。

そうするしかなくなるのだろう。

・・・

それを防ぐために必要なことは

教育の普及

経済的な安定の保障

・・・

経済的に豊かになって初めて

自分以外の人のことを考える余裕ができる。


教育によって

多くの考え方を学び

人として、どう生きるべきかを学ぶ。

問題を解決する選択肢を多く持つことができるようになる。


・・・

息が詰まるようなことが起こってしまった。

・・・

曽野綾子は

この悲劇は

自分を映す鏡であると考え

私たちは

学ばなければならないと言っている。

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