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エリザベス・キューブラー・ロス『死、それは成長の最終段階』「結び」(死は人生の扉)

死を恐れる必要はない。
私たちが気を揉むべきなのは、肉体の終わりではない。
命あるかぎり生きることこそ、関心を寄せるべきなのだ。

他人の作った仮面に隠れ、
自分のあずかり知らぬところで決められた生き方に従って生きることは、
精神の死を意味する。

そこから内面の自己を解放することに、関心を向けなければならない。

この世に生まれた人間はみな、唯一無二の人間、過去にも未来にもけっして他には存在しえない人間になる資格がある。

しかし、
私たちは文化によって規定された役割、
すなわち自分自身のものではなく紋切り型の役割を期待され、
また、
その役割を果たすことで身動きが取れなくなっていて、
自己実現の能力を生かせずにいる。
自分がなりうるものになる可能性をすべて妨げているのである。

死とは人生の扉である。
個人の存在の有限性を受け入れれば、
外部から押し付けられた役割や期待を拒絶する強さと勇気がもて、
さらに、
どれだけ生きるかに関わらず、
できるかぎり成長するのに一日一日を捧げられるようになる。

私たちは自分の内部の力を頼み、
自分自身の価値基準からのフィードバックによって、
自分がどうあるべきかを決めることを覚えなければならない。
自分に合わない紋切り型の役割に、自分をはめ込もうとしてはならない。

死を恐れる必要がないのは、

肉体が終わることではなく精神には死の概念がないということ。

輪廻転生の考え方をしている。


肉体ではなく

精神の死が

人生にある自分の存在価値を見失わせるというのだ。


過去においても未来においても

唯一無二の存在である

私たちの存在。


かけがえのない存在であり

限られた命である存在であるなら

他人や文化に規定された役割を果たすことを

生きる目的としている場合ではない。


自分の中にある

自分に自分の人生において決定権があり、

自分の生きたいように生きるという目的を果たすこと

つまり

「自分を解放して生きる」ことに関心を持つべきだという。


そのような人生を見直す機会となる

人生の扉が

「死」を意識するということだ。


自分の存在の有限性を自覚することで

本当に生きたい自分として

生きることができるようになる。


死を考えるということは

今をどう生きるのかについて

深く考えることになる。


生と死は

逆に

循環している。


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