曽野綾子(私の実感的教育論)『絶望からの出発』「小さな信念を貫き通す勇気を持たせる」より
「どのような母親も教師も子供も、
多分、
まるっきりまちがわずに済むことはないのである。
いいと思ってやったことが、
そうでない結果を生むので、
私たちはきりきり舞いさせられる。
口惜しく、情けない。
面目なく、泣きたい思いをし、何もかもが嫌になったりする。
しかし
そのまちがいを自分で認めるのが
恐らくは勇気の本質なのである。
誰もがまちがうのだから、
自分もまたまちがうに違いないと思うのが
勇気なのである。
そして
まちがう可能性を怖れつつ、
限りある善意と能力のなかで、
居ずまいを正して、
一切の権力から解放された自由の中で、
自分の小さな信念を貫き通す勇気を持つことが、
最も効果的な教育の姿勢であると思う。
どんなに目のある正しい人間でも、
勇気のない人は本当の教育者ではない。
なぜなら、
賢さと共に、
勇気だけが
人間が世の中の奔流に押し流されることを
阻止できる。」
・・・
人が間違うということを認める勇気を持つこと。
そして
人は間違うけれども
小さな信念を持って
それを貫き通すという勇気を持つこと。
・・・
この2つの勇気。
・・・
健全な自己客観視をすることができることとともに
自分の信念を実践し続けてゆく強さが必要だということ。
・・・
その2つは相反することのように感じるけれども
どちらも持つことが必要となる。
・・・
(大概のものは
どちらか一つではなく
どちらも必要であるし
どちらでもあると思う。)
・・・
人生において
矛盾するような視点を常に持ち続けることが
重要なことだと思う。
・・・
常に自分を見つめるもう一つの自分が
自分の考えや行動を見つめて評価するというバランス感覚は
大きく間違うことから自分自身を守ることになると思う。
・・・
そうするためには
本当の
勇気が必要となる。
・・・
わたしは
冷静に自分を見つめることが
できているだろうか。
その勇気を失うことなく
まだ
持っているだろうか。
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