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曽野綾子『完本 戒老録』より

「私は過程に生きている。

 だから過程に死ぬのだろう。

 過程に学び、

 過程に迷い、

 過程を愛し、

 過程に見苦しく振舞うのが、

 人間の生きる自然の姿なのだと思う。」

・・・

何事においても完成形というものはないということ。

完璧というものはないということ。

そうなるとすべての事は

過程にあるということができる。

・・・

人生のその過程において

私たちは

生きて死んでゆく。

過程で学ぶこともできるだろうし

十分に迷うこともできる。

そして

思うようにいかないということに対して

見苦しく振舞いながらも

生きていると言える。

それが人間としての自然な姿であるというのである。

・・・

完成や完璧を求めながらも

到達できないことを受け入れて

学び、迷い、取り乱しながらも

生きてゆくのが人間ということ。

・・・

その過程にいることを

冷静に自覚することができるならば

取り乱すことは

避けることができるのではないかと思う。

・・・

「完璧にはなれないけれども

 完璧を目指さなくてもいいわけではない」

・・・

人生の過程をいかに生き生きと生きることができるのかは

自分自身の考え方次第となる。


できることなら

楽しみながら

完成形を目指していきたい。

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