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曽野綾子の言葉2

「果たして本当に私たちはあることを望んでいるだろうか。

 ちらと心で望むことではない。


 本当に望む人間は、そのためにあらゆることをする。

 どこにあるのかを真剣に考え、千里の道を遠しともせず探しに行き、

 どんなにじゃま物扱いにされても、辞を低くして頼み込む。

 開けてもらえない門は、握った拳がまっかになるまで叩き続ける。


 果たしてこれだけのことを、望んだ時に、我々はしているかどうか

 である。」


聖書のルカによる福音書の中の

「求めよ、そうすれば与えられるであろう。」

に対するもの。


自分の事においては

これほどまでに追求することは

できないけれども


自分の子どものことにおいては

できる限りのことを頑張ってきた。


夜に子どもが寝られない痒みを取り除くためには

母乳になる自分の食べるものを細かく調べ上げ

アレルギーにならないように

取り組んだ。


朝晩とお風呂に入れて

良いとされる

保険のきかない薬を子どもの全身に塗った。


無農薬の野菜の絞り汁がいいと聞き

無農薬の野菜を取り寄せ

摩擦の少ない手絞りの機械で手作りして

自分も飲み

まだ小さかった子どもにも

ゆっくりと時間を掛けて飲ませた。


その頃の午前中は

お風呂と手作りジュースで終わっていた。


子どもの辛さは自分の辛さであった。

歯がゆい辛さに身もだえした。


どんなことをしても

どれほどの労力がかかっても

どれほどのお金がかかっても


子どもから

アレルギーの苦しみを

取り除きたかった。

死に物狂いで頑張った。


学校の給食は食べられないので

幼稚園から高校まで毎日お弁当を作った。


おかげで

現在

子どもは

食べられないものはあるけれども

落ち着いて生活ができている。


私は握った拳がまっかになるまで

門を叩き続けたのだ。

そして


望んだ子どもの平安を得ることができた。

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