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曾野綾子『私の中の聖書』の「星を名づける」一人ひとりを見過ごさない。

旧約聖書の「詩篇」に神が一人ひとりの人間を細かに見守っていることが書かれているという。

その中でも

「主はもろもろの星の数を定め、

すべてそれに名を与えられる」(147・4)

とある。


神がすべてを創造されたというのであれば

私たちの目には見えない小さな星においても

名を与えられる

つまり

小さな存在であったとしても

常に気にかけておられるということだ。


「それは、どのような小さな者、

隅の方にいる者、

無言の者をも、

神は決して、

ないがしろになさらないということである。

・・・

人間にとっても、他の人々に対する道であろう。

声の大きなもの、真ん中にいる者にだけ、名を与えるような人間の心が、

私は嫌いだ。

それは何より醜い。

・・・

力のある人ことは、放っておいてもいい。

私たちが心を向けるべきは、

むしろ、

現在、力を失っている不遇の中にある人達なのである。


私たちは、まるで運命という当直を、

交替で勤めているようなものだから、


現在、輝いている星(人)と

そうではないものとの間には、

何ら本質的な差はなくて、


いつかは多かれ少なかれ

その運命の変遷を体験するものだと、

私は思っている。」

・・・

力のある人と、力のない人の間には

その差はなく

ただ

運命の当直を

交替で

勤めているようなものだという。

・・・

そのように考えると

すべての人が安心して生活できるように

社会の保障を整備していくことは

やがて

運命の当直で

自分自身が不遇の順番となった時に

有難いものとなるという保証となる。

・・・

運命の順番という想像力があるのであれば

人の不遇においても

やがて来る自分の不遇に置き換えて

当事者意識を持って

考えることができるのではないかと思う。

・・・

声なき小さな人の存在を

神が見逃すことなく見守っているように

私たちは

小さき存在について

いつも気にすることが

社会全体の存続に繋がるということに

もう

気付いて

実行する時が来たと思う。

・・・

その実行をするという政治であってほしいと願っている。

その政治を選ぶことができるのは

私たち一人ひとりの力なのだ。


その力が集まれば

政治を動かすことができる。

一人ひとりの力でできるということだ。

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