世界を目指すとは

 「世界を獲る」とか「天下を取る」という言葉をよく見かけるが、そもそも世界は「獲る」ものなのだろうか。
 恐らく両者とも「世界的な成功を収める」という意味で使われているのだろう。でも「天下を取る」って今何時代だ。確かにダンス&ボーカルグループ隆盛の時代ではあるけども。
 私は「待ってろ、世界」という言葉は「世界中に僕らが音楽を届けるまで待っていて下さいね」という柔和な意味に捉えているが、違うんだろうか。
 
 念の為「獲る」という言葉を辞書で引いてみると。

 このページには、「獲る」という言葉について、下記のように記載されている。
 ㋔(「(作物を)穫る」「(動物を)獲る」とも書く)生きていくための、えものや作物を手に入れる。収穫したり、捕獲したりする。「山菜を—・って暮らしを立てる」

「獲る」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

 とある。ここから「獲る」とは『生きる為に何かを得る』行為だという事がわかる。
 それを踏まえて考えてみたい。
 
 世界は「獲りに行く」ものなのか。
 世界を目指すということは「天下を取る」という事なのか。
 
 「世界を獲りに行く(獲る)」という言い方に、何となくナショナリズム的な、戦争に行くようなニュアンスを感じるのは私だけだろうか。
  世界は目指すことはあっても、「生きる為に手に入れるもの」ではないはずだ。
 それにデジタルが発達してSNSで海外ともやり取りが出来るようになったり、音楽でも簡単に発信できるようになった今、世界で1位になるということは何か非現実的にも思える。
 そもそも言葉の使い方の問題ではある。ただ、繰り返しになるが今は対等に個人間で海外とやり取り出来る時代だ。こうした時代に「世界を獲る」、「天下を取る」という言い方には余計に危うさを感じる。


 
 望月 香夜

 
 
  
 
 

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