推し活と批評

「推し」と「それってあなたの感想ですよね?」の時代に批評ができることは? | 時事オピニオン | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

 大事なことがずーっと書かれているのですが、印象的な箇所をいくつか引用します。
 是非全文読んで頂きたい。特に推し活にハマっている人に。


『批評が嫌われる理由、それは先ほど述べた「上から目線」性に他ならない。歴史のあるメディアやそのジャンルにおける年長の評論家の一声、その評価の裏側にある一朝一夕には築けない知識体系。こういったもの自体が「偉そうで威圧感のあるもの」であり「自分たちの楽しみを脅かすもの」と捉えられるようになっている。近年ではファン側も「ファンダム」としてまとまることで発信力を持ち、自分たちの楽しみに外から水を差すような「客観的な意見」に対して敵意をむき出しにすることも多い』

『しかし、時代のあり方はSNSの浸透とともに一変する。発信者と受け手が直接つながるためのツールが充実したことで、その間に入っていた批評家の存在はノイズでしかなくなった』

『批評を嫌うファンダムが求めるのは「推し」と「考察」である。応援する対象の声は絶対であり、それについて部外者が何かを言うのは耐えられない。特に、自分の推している対象についてのネガティブな声は聞きたくないし、何なら封殺してしまいたい。作品から読み取りたいのはあくまでも「作り手や演者がどんな意図を込めたか」というゆらぐことのない事実(らしきもの)についての答え合わせで、たとえばその作品やジャンルの周辺で起こっていることとの共通項を分析しながら「こういう読み解きもある」と視点を提示するような言葉には興味がない(なぜなら「作り手や演者がそう思っているとは限らないから」)。「推し」と「ファン」の閉じられた関係の中で、届けられるアウトプットにまつわる唯一の答えを「考察」する。そんな状況が各所で現出しつつある』

『品質の高低や物事の善し悪しを勝手にジャッジする評論家には退場していただいて、仮に知識はなくても当事者としての熱量を推しにぶつけることで自らの快楽を最大化しよう。タイムリーな例を挙げれば、ジャニーズ事務所を取り巻く問題に関して「推しがかわいそう」というスタンスから各方面に心無い声をぶつける一部の熱意がいきすぎたファンの言動もそんな構造と密接につながっているとも言える。批評という外部からの目線が欠如することで、エンターテインメントは社会との接点を失うことになる』

『もちろん、最初から「様々なこと」を知るのは難しい。だからこそ、まずは自分の好きなことを起点に知識の体系を広げていくのが良い。よく知らないことに表面的な理解で首を突っ込むのではなく、自分が大事にしているテーマについて深く考えるために必要なことから学ぶ。そのアプローチこそが、その人なりの社会への眼差しを育む早道である』

『自分の思っていることを感想として的確に言葉にできる。その感想の裏側には、自身が培ってきた価値観と社会に対する目線がある(『ファスト教養』ではこの2つを「ルーツとシーン」と位置づけている)。偉大な先人たちの言葉を借りれば、「直観」「情熱」「勘」と「知力」の融合を目指して、そういった見識を得るための道を先入観に囚われることなく便利な道具も活用しながら切り開く。「ファスト教養」の磁場が一般化し、批評が煙たがられる時代に、少なくとも「自分は知性がある」と自負する人たちはこの姿を目指すべきではないか。それこそが、次の時代に求められる教養のあり方を考えるうえでの第一歩である』

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 とにかく自分が好きなアーティスト・アイドルを褒めりゃ良いって訳ではない。


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