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パズルが好きなのかもしれない。

いろんなことを考えていると、ふとそんなことを思った。

自分の価値観というわけでもないけど、いつもひとかけらピースが欠けているパズルのような感覚が、もしかすると自分にはあるのかもしれない、とふと思った。

あれとこれが結びついたらいいよね、とか、この人とこのひとをつないだらきっと面白いことになるだろうとか。何かしらパズルの1ピースを埋めていくようなことが好きなのかもしれない。

学生時代にあったテストも同じような感覚。答えを出すってことは解答欄を埋めるという行為だから、そこをどんどん埋めていく。それはパズル的な要素にも近く、クイズを解いていくような感覚にも近かった。点を取らないとヤバいというスリル感もあるような。まったく過信したときには、もちろん壊滅的な点数を取ったこともあるけれど。

それってもしかすると、いつも何か空虚なものがどこかにあるのかもしれない。それを埋め合わせようとする自分。小さいころからがっつり父親と関わってこなかったことが、そういった心理に反映されているのかもしれない。

潜在的に思っていることなので、たしかなことではないけれど、何かしら若い頃の経験や体験が今にも反映されているようにも思える。

妙に承認欲求があったり、自己肯定感が低めなのも、そういったことが作用している気がする。ずっとそういうことがモヤモヤっと自分を包み込んでいるのかもしれない。いまの状況が幸せか不幸せかと問われたら、それは前者であることは間違いないけど、ある角度から切り取れば、不幸な部分もあるのかもしれない。

何かつかめないパズルの1ピースを求めるかわりに、別のピースで埋合しているような感覚に近いのかもしれない。

もっと父親にも向き合っておけばよかったと思うときもままあるけれど、父親はもうこの世には存在せずなので、それは叶うことはない。

人見知りだと言ってもあまり信じられないのと同様に、家族と向き合うことがなかなか苦手の域を出ないのは、過去の経験に依拠しているにほかならず、これはなかなかずっと難しいまま今に至っている気がする。

ずっと完成しないパズルはいつ完成するのか、僕自身わからないけれど、でも今も何かずっと1ピースの欠片を探し求めている無意識に。


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