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人事異動の後の取り残され感と若くないことへの苛立ちと焦り

「私はこのまま取り残されるのか?」

 今年こそ異動かと思ったが異動せずで。異動したかったら申し出れば良いのだが、申し出ても希望通りの学校に行ける可能性は極めて低いので、余程のこと(結婚、親の介護)でなければ申し出はしないもので。私は、転勤が苦手で。慣れるまで3、4年かかる。6年過ぎると異動なんかどうでも良くなる。ただ、同期が異動したり進学校や教育行政に異動になると、取り残された感があって。
 他者から見れば私なんか羨ましいのかも知れない。通勤距離も短く、授業もやりやすいおちついている。しかし小規模なので教員数が少なく人出が不足しているのでそれなりに雑務は多い。また教員の進学志向が高く受験校に寄せたカリキュラムであるが、上昇志向の高い方たちが異動していったので平均年齢が格段に低くなり、20代30代のサークル感覚な盛り上がりという教員の落ち着かなさと定年間際の古株が20代30代に媚びるはけ口として40代50代にパワハラするという、教職員のパワーバランスに偏りがある。
 自分的には生徒と一緒に課題研究や探究がしやすく、そこで自分が知見を広められるしやりたいことがやれるので、そこだけは大変だが本当に楽しいのだが、目立てばパワハラの標的になるので、生徒の成果も大きくPRができない。新聞載るなどもってのほかで。
 進学校に異動すればステイタスが上がったように見られるのだが、仕事的に面白くは無い。そもそも、自分が進学校で働くより自分の子どもの受検や進学の方が心配だ。

「何に取り残されてるの感じるのか」

 そこがわからない。自分は満足している。じゃあ何に取り残されてる感があるのか?目を背けることができない「年齢」という壁だ。現状の60歳定年であれば、40代後半はカウントダウンに入ったことになる。多くの人はそう思わないだろう。でもね45歳を過ぎると仕事的には「シニア」の部類に入るのだ。何気なく見た青年海外協力隊の募集要項でそう感じた。それから私は歳を取るのが怖い。職場でよく「若手」という言葉が使われる。「若手」は20代30代のことである。何も持たなくても若さは武器なのである。

「企業なんかではどうなんだろう」

 研究や取材のために生徒を連れて大学に行ったり企業に行くのが恥ずかしくなってきた。「この人、この年齢でまだこんなことやってんの?」と思われてるのではないかと。本来なら20代30代の教員が生徒と一緒に学ぶというのならわかる。自分もそうやり続けてきた。いろんな大会に行くと意欲のある意識高い系の若手の教員が増えてきた。そこにポツンといる自分。ああ、取り残されている。企業の方やNPOの方たちも混ざるシンポジウムや研修会も若くて若くて。行って意見するわけでなく「すごいなぁ」と思って参加してるのだが、もはや自分なんか老害っぽいので最近は、その雰囲気の時は席を外すようにしている。

「もう若くはない。全く若くない」

 45歳を過ぎたらカウントダウンである。50歳になったら表舞台には立てないのである。「いつまでも若い心さえあれば」「年齢なんか関係ない。やる気ですよ。」とは理想であって現実ではない。ごくごく一部がそうなのであって。

 部で送別会を催さなくてはならず。「ごめん、月曜日なんだけど異動する◯◯先生の送別会を昼食会として開きたいのだが…他に約束入ってたら私たちだけでやるから気にしないでいいよ。」と言って20代に声をかけるのが現状。すごい間の後に「ああ、いいですよ別に」と言われて申し訳なさでいっぱいになる。40代と飲み食いしても楽しくないだろう。私たちも私たちだけでやりたかったけど、同じ学年団で1人だけに声をかけないのもアレだし。正直、返金するから参加して欲しくなかったというのもある。いつもの昭和ハラスメントが出て、気分を害するのは私たちだし。もう楽しく会合できない虚しさ。
 歓迎会、送別会だけでない。忘年会も参加しない。あのサークルノリに耐えられない。給料から積み立てたお金はみんな若い世代の飲み代になって消えていく虚しさ。

 私が異動の時期に感じる取り残され感は、またこの場から出ることができなかったという虚しさと、受け入れるしか無い諦観。歳を重ねることがこんなにもツライこととは気づかなかった。


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