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【仕事】はじめての休職⑤

こんばんは。副業投資家のもちパパです。
適応障害も治り、ようやく復職の目途が立ちました。
そんな私の休職期間。一体どのように過ごしていたのかを少しお話ししたいと思います。

診断直後

適応障害の診断をされた直後の私はというと、今振り返ってみてもかなり精神不安定な状態だったと思っています。具体的にいくつか例を挙げると、人の目を見て話せない、人ごみを避けたがる、突然涙が出てくる、何のやる気も出てこない、四六時中眠い…などです。

処方された薬

診断されたと同時に処方されたお薬が2種類あり、ひとつはミルタザピンという、いわゆる抗うつ剤。もうひとつは柴胡加竜骨牡蛎湯という緊張を緩和し、睡眠の質を改善する漢方薬です。
人によるのだと思いますが、私はミルタザピンを飲んだことで気分が落ち着く半面、朝から晩まで強い眠気に襲われ、何もすることができなくなってしまったため、すぐに服用をやめました。先生も合わないようならやめても良いと仰っていたので、服用をやめることは問題ないのだと思います。漢方薬の方はずっと飲み続けていました。ただ、こちらについては効果を感じられることはなかったです。

立ち直れたきっかけ

元気がないうちはとにかくひたすら寝ていました。直後のことはあまり思い出せず、ただただ寝ていた記憶しかありません。このままだと何も出来なくなってしまいそうだったので、病気発覚からお休みしていたTwitterを再開させることにしました。
Twitterでは毎朝必ず市況をツイートしていたり、週に1回スペースをやったりなど、自分の中で決めているルールがいくつかあったため、ある意味強制的に行動しなければなりません。どうしても無理ならまたお休みすれば良い、くらいの気持ちでツイートを再開。すると、たくさんのフォロワーさんからの心配の声や、ねぎらいの声をいただくことができました。Twitterを頑張ってきたことで、多くの方が自分のことを応援して下さり、それが自己肯定感に繋がりました

1、2週間した頃にはだいぶ元気にはなってきていたものの、パワハラの証拠を提出するために録音したものを聴いたりなど、心に負担がかかる作業をしていたこともあって、まだ本調子とは言えませんでした。
また、Twitterについてもポジティブなものだけでなく、ネガティブなものもあり、ちょっとしたことが気になってしまったこともありました。もちろん、ポジティブなものの方が圧倒的に多いので、結果的には救われたのですが、そんなこともありました。

元気になり始めてからの生活

少し元気になってからは子供と外に遊びに行ったり、家族と出かけたり、タイミングが合った方とオフ会のような形でリアルで会ってお話しすることもありました。また、今まで日中に見ることが出来なかった相場を見ることが出来るようになったため、デイトレにもチャレンジしていました。夕方以降は家事・育児に追われていました。夕飯は毎日私が担当することにしていましたので、その写真をツイートすることも毎日の楽しみになりました。

休みが続くことは退屈か

毎日がお休みだったら暇になるんじゃないか、とも思いましたが暇だと思うことは一度もありませんでした。どんな状況にあっても、自分の好きなことや、やりたいことを見つけ出せる性格であったため毎日は充実していました。
贅沢や特別なことをしなくても、家族がいて、その環境の中で楽しめるものを見つけて生きていけば、幸せなのだということに気が付けました。初めて本気でFIRE(経済的自立と早期リタイア)を目指していきたいと感じるようにもなりました。

復職に向けて

2か月くらい経ち、病院の先生からも復職できそうだという診断をいただき、現在復職に向けて準備をしているところです。

長くなってきたので今回はこれで終わります。
次回は会社とのやりとりや復職に向けての詳細などを書いていきたいと思います。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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