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『DVから逃れる』 あるDVサバイバーの記録 #009

#009  面会交流調停と阻まれる社会復帰

DV避難から1年半かかってようやく離婚が成立し、ほっとしたのも束の間、残された課題である1番下の子に対する面会交流調停が始まった。
通常の調停では調停委員を挟んで行われるが、今回は「単独調停」といって調停委員を挟まず、裁判官と直接やりとりするスタイルだった。
当時はまだコロナ禍で電話調停も選ぶことができたが、「出廷した方が印象が良いから」と弁護士に言われ裁判所に行くことになった。
弁護士は離婚裁判の時よりは力が入っているらしく、面会交流は阻止したいと当時の動画もやっと証拠に上げてきた。
だがこの弁護士、調停の2週間くらい前に打ち合わせをするものの、陳述書を提出するのが調停当日ということが何度かあり、なんだか残念だと思った。
当日に裁判所に提出するため、相手方弁護士も困っていたようだった。

数ヶ月後、子供に対する調査官調査が行われた。当時1番下の子供は思春期。当然自分の意見もあり、自分の言葉で話すこともできる。
子供と一緒に裁判所に行き、調査官調査を受けた。初めは緊張していたものの、若い調査官だったからかスムーズに話すことができたらしい。だが、やっぱり元夫にされたことを思い出すのが辛かったようだ。
それは私も同じで帰りにはなぜか涙が溢れた。
出来上がった報告書では、子供はかなり詳細に語っていてはっきりと元夫には会いたくないと言っているが、元夫側はそれでも面会を求めてきた。
結局は間接的交流という形で定期的に手紙を送ることになった。元夫は写真を送って欲しいと言ってきたが、それは子供が拒否した。
子供がいずれ大人になって直接父親に会いたいとなれば私はそれで構わない。だが現段階では本人の気持ちとしてそれは無理なのである。

一応面会交流調停は裁判所の方も子供の気持ちを汲んだ決定をしてくれた。そしてここまで来るのにさらに1年かかり、避難してから2年半の月日が経っていた。

その間私は生活保護を受けながら社会復帰を試み、たまたま見つけた前職の部署違いの仕事に就くことができた。
私が元々勤めていたのは誰もが知る大企業。これで生活も安定すると思ったのも束の間、元夫も私もよく知る、何なら元夫の親まで知っている人物が定期的に訪れるため、やむなくたったの半年で離職せざるを得なかった。
もしこの人物から元夫に連絡が行ってしまえば居場所を突き止められる可能性もあり非常に危険だ。
元々住んでいた場所から離れているとは言え、来れない距離ではない。
仕事を選ぶ時も目立つ場所では働けないDV被害者の苦しさを改めて知った。
DV被害者の女性は夫からの束縛などによって社会経験が乏しい人も少なくない。働ける状態であればそのような女性たちをもっと自立に向けてサポートする仕組みがあっても良いのではないだろうか。
専門的な資格でも持っていない限り、就職できてもパートや派遣など不安定な雇用形態かほとんどである。(自分も然り)
一律に生活保護を受けさせるのも悪くはないが、そこから抜け出すのはなかなか難しい。多子世帯ではまともに働くより高い金額が貰えるため、ずっと生活保護という人もいる。

私は今は別の場所で働いてはいるが、未経験の職場で苦労している。履歴書にも不自然に空白の期間があって面接の時に突っ込まれてしまう。また、マイカー通勤が当たり前の地方では車を持っていないというだけで驚かれる。
自分が悪い訳ではないのに惨めな思いをたくさんしなくてはならない矛盾をどうにかして欲しい。
書いてるうちに愚痴のようになってしまったが、DV被害者のその後の長い人生をより良く送るために提案したかったのである。
それが私がこの記事で1番伝えたかったことなのだ。


次回へ続く

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