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適材適所。

居心地が良いところに身を置いたらいいのだと思う。

例えば僕は、職場の同僚で隣のデスクの山田さんから嫌われているという訳ではないが、明らかに見下されている。
僕が自信を持って何かしようものなら、視線と態度と言葉でじっと押さえつけられる。
だから僕はいつも山田さんにニコッと笑いかける。それは宣戦布告ではなく、降伏するというわけでもなく、ただ山田さんの愚かさを笑っているのだが。
というわけで、職場は居心地が悪い。

このような人間関係など何処にでもあるのだろう。ただ、ゴミ屑みたいだと思う関係性の中に、希望や光などないという事実は絶望的だと思う。

例えば、弱っている時に買った「星屑のパン粉」みたいな名の詩集は読んでいて実につまらなかった。言いたいことははっきり言うべきだ。星屑が、卵の黄身が、パン粉がなんなのだろう。そんなこんなで元気が湧いてきて、米を炊いた。つまらない詩集を本棚にきっちり並べ、卵かけご飯を味わう。そんな僕の部屋は居心地が良い。

つまらないことを知るのはつまり、いきいきとした楽しいことがその形を現すことかもしれない。
知らなければ生きやすく、知れば対照的な何かの存在に気づき、知らなくていいことはいつも僕をわくわくさせる。

それが絶望的だと知ったときには、僕に与えられた希望が何かを知るのだ。
山田さんの隣の席には絶望する。ゴミ屑だと思うその関係を、僕は星屑のパン粉にした。きっとこのあと僕はトンカツを作るんだ。とびきり美味しいトンカツは僕をまた元気にする。

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