桜餅

暖かく軽やかに過ごしたい。 思い出への感謝の気持ちを込めて文章を書けたら素敵だと思い…

桜餅

暖かく軽やかに過ごしたい。 思い出への感謝の気持ちを込めて文章を書けたら素敵だと思います。 絵を描いてます。

最近の記事

おそらくは世界一の幸福と唯一の寂しさ

家族が増えて、幸せは倍増するんだろうと思っていた。 もちろん、私の世界は幸せでいっぱいになった。 同時に、寂しさが滲んできた。 誰にも言えない葛藤が私を惨めにした。 夫婦の形は変わっていく。 だから、強くならなくちゃと思うだけ。

    • 世界で一番幸せな場所

      結婚して夫と家族になった。 それまでの私にとって、家族とはただの縛りだった。 親元を離れて一人暮らしを始めた10代の頃にも、一人でいる寂しさなど微塵もなかった。 一人は家族といるより楽だったし、幸せだった。 夫と一緒に暮らし始めて、今までに感じたことのないくらいの幸福に包まれた。 一人でいるよりも夫と過ごす時間が幸せになった。 まもなく、子どもを授かった。 家族が増えるということが、こんなに幸せなことなのだと知った。 ますます毎日が幸せになった。 もうすぐ生まれてくる

      • 他人の悪を吸い込まないために

        私たちが生きていくために必要なのは、健康な身体としなやかな心だと思う。 これが揃ってないと、どこか生きにくいのだと思う。 かと言って、どちらも揃っている人など、あまりいないのかもしれない。 私は、心がガチガチな上に脆い。だから、心の支えがないと生きられないのかもしれない。心の支えは、20代の頃までは仕事であったし、今は夫やお腹の子である。 自由奔放に生きているからか、時々、誰かの反感を買う。悪口を遠ざけて生きてきたからか、時々、他人の悪意が目につく。 もっと柔軟に生きられた

        • 感情の行き着く先。

          ある人が何を考えているのかなど、その人にしか分からない。 私たちの行動には感情が伴っている。行動からその人の感情を推測することはできる。 あ。あの人は怒っているのか。 あ。あの人は悲しんでいるのか。 あ。あの人は楽しそうだ。 ただそれは、あくまでも推測だ。何を考えているのかなど、その人にしか分からない。 いつもご機嫌でいれば、人生が幸せだと誰かが言った。 些細なことでイラッとしてしまう自分がいる。 おそらく、相手にイラッとする時、私の中で相手は対等ではない。期待を込めて、

        おそらくは世界一の幸福と唯一の寂しさ

          つわり、つわり、つわり

          昼にお好み焼きを食べた。 程なくして、胃の中のお好み焼きはほとんど全てトイレに流れていった。 体重はみるみるうちに減っていく。 毎日、気持ち悪くて仕方がない。 つわりがこんなに辛いなんて。 つわりが酷い時、お腹の赤ちゃんに話しかける作戦をしてみたが、変わらず吐いている。 でも、何となく優しい気持ちになれるから、まあ作戦は功を奏しているのだろうか。 心拍は確認できたが、まだ流産のリスクはある。 つわりがあるということは、赤ちゃんが元気な証拠! ということで、つわりがおさまっ

          つわり、つわり、つわり

          小さないのち

          穏やかな毎日の中で、まどろみながら思う。 それは、眠たい!ということ。 朝から晩まで眠い日が続いた。運転中は眠らないよう常に「あたりめ」を噛んだ。 おかしいなって思ってから3週間くらい。 私のおなかの中に、赤ちゃんが入る袋、いわゆる「胎嚢」が出来ていた。 妊娠しています、とは言われなかったが、 「胎嚢が確認できますね」と静かにお医者さんは言った。 帰り際、看護師さんが「おめでとうございます」と小さく言った。 まだ実感が湧かない。 流産のリスクもある。 だけど、私の中に宿っ

          小さないのち

          その他大勢のどうでもよい話

          職場の人間関係って、独特だなと思う。 友達でもない、ただの仕事仲間。 ほとんど毎日、愚痴っぽいなあと思う。 他愛もない愚痴に付き合えない私は幸せでいっぱいなんだと思う。 そんなことウジウジ言って何になるのだろう。 とか、思ってしまう。 惚気話とか、幸せな話とか、そういう世界は友達に求めて。 職場では適当に受け流したい。 でも、できるだけマイナスな単語を耳に入れたくないと思っている。 幸せだと思うからこそ、その他大勢のどうでもよいことは受け流せたら。

          その他大勢のどうでもよい話

          ここだけの話

          ここ最近の私は、幸せを全身で感じ幸せな雰囲気を纏い幸せな表情をしているのだと思う。 あくまでも主観だが。 大切に思う人がいて、それは私の夫で、新婚だからとかいうこともあるのだろうが、それでも幸せな今があることを有難く思う。 ずっと続いたらいいのにな。 職場で、ついつい夫のことを考えて話してしまう。 時々、夫を変な奴呼ばわりしてしまう。 いや、愛があるからこそなのだよ。 わかってくれよ。 さてさて、これから楽しいことや楽しみなことがたくさんあって、ふたりで過ごせる時間が愛

          ここだけの話

          それって義務ですか??

          義務って押し付けられると嫌だな、と、思った話。 「お祝い、現金がいいですか。品物がいいですか。」 と、聞かれたのが、あまりにも義務的だったので。 「いえいえ、そんな。」 と、謙遜のような間抜けのような回答をしてしまった。完全に誤答だった。 「いや、でもね。うん、どちらがいいですか。」 と、義務的な処理が続いてしまう。 「じゃあ、ものの方が…。」 「えー、そうなんだ。お金じゃないんだね。何か欲しいもの教えてね。でも、予算オーバーだったらお金にしますけど。」 これが、

          それって義務ですか??

          あたたかみ。

          あたたかな思いやりのある人なのだと気がついた。 大切に思うからこそ上手くいかないことがあるのだとして、それを想像できることはつまり、あなたのあたたかみなのだろう。 ひとの優しさに気がつける時、それはあなたにもその優しさがあるからなのだと。 ひとは自分の鏡なのだろうか。 大切に思う人と同じ雰囲気を纏っているという褒め言葉が少しだけ嬉しかった。その人は、私がとても大切に思う人であり、尊敬してやまない人だから。 大切な一歩を踏み出せた私はすごく偉い。 しあわせは今ここにあ

          あたたかみ。

          想い、描くこと

          この世の中でうまく生きていくことは、時々難しい。 バランスが大切なんだと思う。 大きく偏っていては、どこかで崩れてしまうのかもしれない。 私には好きな人がいて、もうすぐ夫になるのだが、彼は私の生きるバランスを整えてくれるような気がする。 私たちは、たぶん少し似ていて、でも全く別の人生を歩いてきた。 最近よく、人生の先輩方から、 「今が幸せの絶頂よね!」というありがたいお言葉を頂く。 みんな、そこを通ってきたのだ。そして今がある。 絶頂だからと先を悲観することなどない。幸

          想い、描くこと

          ネパールって何処

          数ヶ月後には苗字が変わる。 入籍するのだ。 山あり谷ありの人生で、今はまさに山の方なのだろうか。 そんなふうに思ってみても、今ここにある平凡な幸せを感じていられるだけの余裕がある毎日に感謝しているつもりだ。 ネパールの人から話しかけられた。 「ココ、ワカリマスカ?」 地図にはスーパーの名前が。 「はい。でも、歩くと結構かかりますよ。30分くらい。」と、私は答えた。 急いでいるという彼女に、「歩くと遠いからバスで行った方がいい」と、どうにか伝える。 バス停まで一緒に行ったが、

          ネパールって何処

          ホームランボールは流れ星みたいだった

          寒波に備えて暖かい服を買おうと思った。この日、高くも安くも無いアパレル店は賑やかだった。 独りで買い物をしていると年下であろう店員が話しかけてきた。 「今日、人が多いですよね!クリスマスですもんねー。」 ああ。そうか。今日は12月25日、クリスマスだった。 確かに、店は客で溢れていたし、家族連れやカップルが多い。 40手前の女が独りで買い物をしていると、こんな風に言われるのか。やや自嘲気味に、店員に笑いかける。これもただの被害妄想かと思えると可笑しい。 クリスマスなんてただ

          ホームランボールは流れ星みたいだった

          適材適所。

          居心地が良いところに身を置いたらいいのだと思う。 例えば僕は、職場の同僚で隣のデスクの山田さんから嫌われているという訳ではないが、明らかに見下されている。 僕が自信を持って何かしようものなら、視線と態度と言葉でじっと押さえつけられる。 だから僕はいつも山田さんにニコッと笑いかける。それは宣戦布告ではなく、降伏するというわけでもなく、ただ山田さんの愚かさを笑っているのだが。 というわけで、職場は居心地が悪い。 このような人間関係など何処にでもあるのだろう。ただ、ゴミ屑みたい

          適材適所。

          冬の、支度

          それは確かに春だった。 私は春を見た。 大きな滑り台がある公園のツツジの木には、その蕾すら見当たらなかった。ダウンコートに身を包み、私たちは並んで歩いた。つまり、季節は冬だった。 今日は鍋が良いかな。醤油ベースか味噌ベースか。はたまた変わりだねでいくか。…そんなことを話題にしながら笑い合った。 揃わない歩幅を互いが感じながら、相手の速度に身を合わす。今日はトマト鍋に決まった。 並んで歩く、ということはつまり。隣に誰かが居てくれるということだ。私たちは二人の家へ帰る。トマト

          冬の、支度

          炎、みたいな。

          今日は久しぶりに憂鬱だ。 どれくらい憂鬱かというと。 仕事帰りにずっと欲しかった卵焼き用フライパンを買ってしまうくらい憂鬱だ。 大した金額じゃないけど、またモノを増やしてしまった。 罪悪感、というか、鬱憤が晴れないとは分かっている衝動買いが身に染みる。 自分は劣っているんだというくだらぬ事実と引き換えに、私だけの個性と良さを実感できる自信を失っているというそれだけのこと。 うまく行かないループ、回る必要などないのに、なぜ回っているんだろう。 なーんて。 私は、自分の苦手なこ

          炎、みたいな。