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母国との距離感

エセ寿司ルートが確定した。

先日の面接およびカウンターでの販売業務のトライアルを無事通過し、ホバートの寿司屋での採用が決まったためである。
今週の土曜日に今の馬房ホステルからホバート近郊の家へと転居するため、寿司屋での勤務開始は来週月曜からにしてもらった。あと数日間は近隣のファームでチェリーピッキングに勤しむ予定である。

なお、今後の勤務先の名誉のためにも一応補足しておくと、そこはホバートでは数少ない日系の寿司屋で(他は中国系が多いらしい)、米と酢は日本からわざわざ輸入し、その他の素材はなるべくタスマニア産のものを使用するなど、品質へのこだわりはかなり強いようで、「エセ寿司」呼ばわりするのは少々不適切かもしれない。

そして驚くべきは、なんと夫も同じ系列の別店舗で来週月曜からエセ寿司ジョブ(結局呼び方変えないんかい)を始めるということだ。
私の採用が決まった日、オーナーから「たまたま今日空いたポジションがあるので、あなたの夫もまだ仕事を探しているなら一度面接に来てほしいがどうか」との電話をもらったのである。まさに縁とタイミング、この機を逃すまいとその2日後に彼も面接およびトライアルへと臨み、無事に採用が決まったという次第である。

かくして、夫婦2人ともチェリーピッキングに今週で区切りをつけ、残りの約半年はタスマニア島の寿司屋で働くことになった。このnoteを始めた時には、全く予想できていなかった展開である。

もしもチェリーピッキングの仕事が予定通りに開始していれば、そもそもこの時期にレジュメ配布の飛び込み営業をしていなかったであろうことを考えると、運命とは不思議なものだとつくづく思う。結果論にすぎないが、短期で終わるファームを転々とするよりも、一箇所で長期的に働いたほうが、留学費用を稼ぐという目的から考えてもより合理的かもしれない。

そしてこれもあくまで結果論だが、海外の寿司屋という勤務先のチョイスも自分の中でかなり腑に落ちている。

大学時代の留学を含めて2度目の海外長期滞在を経験する中で気がついたのは、自分は「海外の中にある日本」を見つけるのがとても好きだということだ。

例えば、オーストラリアではトヨタやスズキなど、日本製の車への評価が異様に高い。どんなに古くても、ゾンビのように走り続けるのだという。宿のルームメイトとこの話をした際、「日本車は本当に質が高いからね」と言われて「ありがとう」と返したら笑われた。おめーの功績じゃねえんだよと言われてしまえばそれは間違いないのだが、自分が日本人というだけで、日本の製品が海外で高評価を受けていることがなぜだか無性に嬉しいのである。

国内にいるとついつい自国の悪いところにばかり目が行ってしまいがちになるが、少し距離を取って外から眺めてみたら案外良いところが沢山あることに気づく、というのはよくある話だと思う。

そんなに日本が好きならなぜ海外に出たのか、と不思議に思われるかもしれないが、むしろ海外にいるからこそ気付ける日本の良さもあるような気がしている。そして、「自分が生まれ育った環境の外で生活を築く」という経験やそこでの学びは将来どこで生活することになってもきっと自分の糧になるだろうとも思う。自分のキャリアのため、やりたいことを叶えるため、というのももちろんあるが、母国から一旦距離を取ることが、母国を好きでい続けるための今の自分にとっての最善の選択肢だったような気がする。

ゲームやアニメなど、様々な国籍の人と話す中で「日本といえば」として挙がる要素は色々あるが、和食もそのうちの一つである。寿司屋で働くことを通して、日本の文化について胸を張れる機会が増えたらいいなと思う。

きっと働き出したら「普通にだるい」以外の感情がなくなることを見越して、現時点の高尚な気持ちを書き残してみた。見返した時にちゃんと自分への戒めとなることを願う。

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