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バックパッカーたちの人生

約2週間後に、現在住んでいる馬房ホステルから退去することが決まった。

引越し先を見つけた経緯についてはまた別途まとめるとして、残りの滞在日数が限られているこのホステルで出会ったバックパッカーたち(註:低予算で旅をする人々)についての話を今のうちに書き残しておきたいと思う。

年末年始の休みも終わり、去年末は完全にサモア移民宿だったこのホステルにも、段々とバックパッカーの住民が増えてきた。今の比率はサモア:バックパッカーでちょうど半々といったところだろうか。

一部のバックパッカー同士は既に顔見知りであることもあるようで、話を聞くとオーストラリア本土パースで会った人とタスマニア島で偶然再会したりもしているらしい。来たるタスマニアでのチェリーピッキングのシーズンに向け、オーストラリア国内のバックパッカーが渡り鳥の如く移動してきているのかも知れない。

この一週間で仲良くなったのは、同部屋のチリ人&フランス人男女コンビ、ベトナム人女子2人組、中国人女子1名、ベルギー人男子1名、イタリア人男子1名、とその国籍は様々である。
便宜上「男子」「女子」と書いてはみたがその年齢も幅広く、20代前半から30代半ばまで、多様なライフステージの人々が集まって来ている印象だ。

彼ら(もちろん自分たちも含めてだが)に共通しているのは、「自国での生活に何かしらの課題を感じてここオーストラリアに来ている」という点だろうか。

特に給与面に関する話が挙がることが多く、「自分の親は同じ会社にずっと勤めていて、特に贅沢もしていないのに、生活が良くなっていく実感がない。自分はそうはなるまいと思ってここに来た」という趣旨の話を聞いた時には「どこも似たようなことが起きているんだ…」と驚いた。

ファーム系の仕事は、ワーキングホリデービザの滞在期間延長に必要な88日間の労働のカウント対象となっているということもあって、「なるべく長くオーストラリアに住みたい、そして可能ならそのまま仕事を見つけて永住したい」と考えるバックパッカーと出会うことが多いのかも知れない。もちろん、単純に旅の中で路銀を稼ぐために短期的に働いている人もいるのだろうが。

大学時代に留学した際に出会った友人よりも年齢層が高いこともあってか(当然、自分もそれだけ年を重ねているということだが)、それぞれ自国での社会人経験があることはもちろん、中には大学院を卒業している人もいて、そのバックグラウンドの多様さがとても面白い。

今まで「バックパッカー」と聞くと、ツイッター(現:X)のプロフィール欄に嬉々として『旅人◯年目。死ぬこと以外はかすり傷!!』と過去の訪問国の国旗の絵文字を並べているような、破天荒な自由人を思い描いていたが、彼らとの交流を通して、それがまごうことなき偏見であったことに気付かされた。

「バックパッカー」と一言でいってもそれぞれの背景があり、人生がある。

いずれにせよ、日本から遠く離れた地からも、自分たちと同じようなことを考え、行動に移した人たちがいるというのは、かなり心強いことだなと思った。

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