京都とサウナの求心力

京都へ来た。

土曜の朝思い立って、旦那を誘って久しぶりの京都へ来た。

二人分のお泊まりセットを入れてパンパンにふくれあがったエコバックを抱えて。

京風のお出汁のきいた優しい味の美味しい中華料理を食べて、京都の旅は最高なスタートを切った。

コロナ期間中に部屋を丸ごと模様替えしたので、新しい家具や照明を買いにアンティークショップへ向かう。

地下一階のそこは隠れ家のように存在していて、ヴィンテージの家具がひしめき合っているワクワクする空間だった。

天井からは夥しい程の照明がぶら下がっていて、見上げるたびに目が眩んだ。

椅子や照明、花瓶やキャンドルなどくまなくみたが、ピンとくるものは無く、家具達も私たちに話しかけてくることはなかった。

彼女らは京都らしい誇りと自信を持っていて、それでいて全く可愛げもなく全員揃ってツンとしていた。

「大阪で買おう。。」そう呟いてその場を立ち去った。

時刻は3時になっていたので、前から気になっていたサウナ へ足を運ぶ事にした。

深夜までやっているここの銭湯には若いお客さんが多く、番台の横にはドリンクだけでなく、グッズやお土産に野菜や果物なんかも売っていた。

女湯に入ると背中一面にがっつりタトゥーの入った女性がいた。

おお・・ここまでのタトゥーは久々に見た。あまり凝視しないように髪を洗う。

サウナ が好きになってからは髪や体を洗う間はずっとソワソワしている。

早くサウナ に入りたい。早く体感したい。そんな気持ちが私の禊をどんどんと雑にしていく。

まだ夕方になったばかりだったので人は少なく、サウナ に一人、浴槽に一人しかいなかった。

私はまず浴槽に浸かり、ソワソワしながらサウナ 室を凝視していた。

サウナ室 が空になり、すぐさまサウナ へ。

じわじわと熱くなってくるなる身体に、ぼたぼたと落ちる汗。

この快感は何度味わっても極上だ。

6分入ったところで、水風呂に移動する。

サウナ ー(サウナ愛好家)にとってはこの水風呂が何よりの楽しみらしいのだが、

私はまだ水風呂の楽しさを知らない。

ので私は水風呂を克服するまではサウナーとは名乗れない。と勝手に思っている。

今回も熱々に熱っている身体に気休め程度の水をかけ、汗を洗い流し、膝をすりむいた日にお風呂に入るくらいビビりながら足をつける。

足を一気に掴まれる。もう片足を入れると、二本の足をギュッと何者かに捕まれ、一気に水風呂に引きずり込まれる。さらに心臓をホールドされ、最終的には何者かに首を絞められる。

私は毎回水風呂に入るとこの洗礼を受ける。

全身を絞められながらなんとか30秒耐える。

そして自分で入ったのにも関わらず、冬の湖から救出された人の如く震えながら這い上がり、タオルを命がけで取りに行く。

大袈裟では無く、水風呂から上がる時は本当に自分は凍傷になったのではないかと毎回不安になっている。

しかしこの直後に来る、全身をジンジンと血流が蠢く心地よさがたまらなく、やめられない。

しばらくの間、あしたのジョー体勢でこの血流の心地よさを感じる。

しかしのぼせていると思われたら声をかけられてしまうので、たまに頭を拭いたり、天井を見上げたりして意識がある事を周囲に知らせている。

これを3回程度繰り返すと、世界の何もかもが許せてしまうような幸福感が自身に訪れる。

旦那の落ち合う時には二人とも平和のシンボルのような毒素の抜けきった穏やかな笑顔になっている。

今日の宿は鞍馬口にあるゲストハウスだ。数年前まではラグジュアリーなホテルに憧れて、旅行するならいいホテルに泊まろう!とずっと思っていたのだが、最近はゲストハウスにもっぱらハマっている。

京都は本当にいいホテルが多く、ゲストハウスも同じく魅力的なものがとにかく多いのだ。

古い民家の一階には綺麗に手入れされた緑いっぱいの庭があって、縁側に座ってボーッと出来るし、2階の部屋は床から天井までの大きな窓があって部屋一面に飛び込んで来るのは、京都の低い民家の風景と夕暮れの空。

畳に寝っ転がりながらいつまでもボーッと出来る。

気づけば眠ってしまっていて、近くの焼肉屋へお腹を満たしにいく事にした。

肉よりも厚いニンニクと、肉よりも多いネギにまみれた肉を食べ、二人はまたサウナにいく事にした。

ゲストハウスの近くに老舗の大きな銭湯があって、今まで行ったどの銭湯よりも厳かで、活気があって、最高にクールな銭湯だった!

しかし閉店の20分前に着いた我々は(急遽短縮営業になっていた)全く堪能出来ずに、足早に身体を洗って一瞬だけ湯に使ってそそくさと退散した。

ので翌朝再びやってきて、しっかりと1時間銭湯とサウナを満喫して、京都を後にした。



京都はいつも発見があって、何度来ても物足りない。

しかし今回の京都の街中には異国の人たちの姿がなくて、なんだか物足りなかった。

あの京都に魅了された目をした人々の間を縫って、私も同じ目をして京都を巡るのが何より好きなのだ。

京都の求心力は凄まじい。

世界のどこにいてもその求心力は等しく、まもなく彼らが戻ってくるだろう。

私もまたすぐに京都に舞い戻る予定だ。




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