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息子の不登校 始まりから終わりまで

息子の不登校時代の記事を書いていますが、一度、始まった時期からのことを簡単に時系列で説明しておこうと思います。


息子の不登校を通して私が思っていること・・・。良ければこちらもご覧ください。

息子の不登校


中学1年2学期・11月頃から学校を休むようになる

勉強に付いていけない&ケガでサッカーが思うようにできない、そしてその辛さを私がまったく理解しなかったことが原因かな、と思います。


年末年始に学校にちゃんと行く約束をする

息子と私と祖父(私の父)とで、ちゃんと学校へ行くように、という話をしました。

でも結局3学期2日目で休み、そこで私と祖父から問い詰められ、そこから長い不登校生活の始まりとなりました。


市の教育相談センターへ行く

学校から勧められ、市の教育相談へ行く。

子どもが一緒に行けば出席扱いもしてくれるとのことだけど、うちの場合は会話もないので無理。

「どうすればいいですか?」「どうしたらいいでしょうねぇ?」の繰り返しで3回行って終了。

私としては家に訪問に来てほしいとお願いしましたが、訪問ができるのは児童相談所だけ。虐待すれば来てくれるのか!?とジレンマ。


中学2年GW前にスマホが壊れる

お風呂場でスマホを落とし、壊してしまう。

「スマホ買ってくれたら学校へ行く」というメモがあったが、「学校に行くのが先」と私はスマホを買うことなく・・・息子の不登校は続きます。


スクールカウンセラーさんにお願いする

息子が中学1年の時に実際に話したことのあるスクールカウンセラーさんがそのまま継続されていたので、訪問に来てくれないか、担任の先生を通してお願いしてみました。

「学校にいる時間が決まっている」「訪問する時間がない」さらに、担任の先生から「スクールカウンセラーの先生は『どうしてほしいんですか?』と聞かれている」と・・・。

「学校に行くようにしてほしい」と頼んだら、その通りの結果にすることができるのだろうか?とまたまたジレンマ。

結局、頼み出して数か月後、一度だけ家に訪問に来られましたが、それだけでした。


引きこもり支援の団体に相談に行く

担任の先生が引きこもり支援をしている団体のチラシを見つけてくれて、そこに電話してみました。

引きこもりの子の就職支援から不登校支援も行い始めるところで、まず親の会に誘われ、その後、個別で相談させてもらうことになりました。ここのカウンセラーさんとの出会いで、私は今までの考え方を変えることができました!


この頃、不登校親の会に参加しました。

その時のことは、不登校・引きこもりの親の会に書いてます。


中学2年秋頃~カウンセラーさんが訪問に来てくれる

相談に行き始めてから数か月後、家に来てくださいました。実際に息子にも会って話して「○○君はお母さんのことが嫌いな訳じゃない」という言葉をもらいました。

このころから、私も『学校へ行くかどうか』よりも『息子が少しでも笑顔になれるかどうか』を考えるようになっていきました。


中学2年 年が明けて1月

息子の家生活が少しでも楽しいものになるように、スマホを買うことを私から提案しました。iPhoneはiPhoneでも、機種や色など息子と久しぶりに話をすることができました。

おそらくこの高い買い物を私が一切、文句を言うことなくしたことで、私の思いや覚悟が息子に伝わったと思います。


息子、赤ちゃん返り状態に

iPhoneを買ってから少しずつ話ができるようになり、ご飯の時間に出てくるようになりました。

そして2~3月の1ヶ月程度でしょうか、私や妹、祖母にひたすらベタベタする赤ちゃん返りの状態になりました。ほぼ触れることのない息子と触ることができて、ヨシヨシしてました(笑)


中学2年の終わりに初めて担任の先生と顔を合わす

定期的に電話や家に訪問をし続けてくれていた担任の先生、その先生に中学2年の終わり頃に初めて返事をしました。その先生はその年に赴任してきた先生で、息子とは初の会話。

先生としては(おそらく学校としても)担任を続けた方がいいのか、変わった方がいいのか悩まれていた時だったようですが、このことがあり、3年次も同じ先生でした。


中学3年 5月から学校へ行く

同じ先生が4月に訪問してくれた時、息子が「5月になったら学校へ行く」と言いました。急に言ってきたので、先生もかなり動揺されたそうですが(笑)学校へ戻ってから、連絡を下さいました。

実際、5月1日、息子は登校しました。クラスへ入ると自然に拍手が起こったそうです。


週に2~3回登校&家庭教師に来てもらう

そこから週に2~3回登校するようになりました。

同時に勉強のことが不安という話になり、現役大学生で勉強を教えてくれる子を探し、家に来てもらうことにしました。

学校には行きだしたものの、参観日・体育大会・文化発表会といったイベントの日は必ず休みました(練習には真面目に参加していたそうです)


中学3年 11月半ばから再び不登校に

何がきっかけか分かりませんが、ふと学校へ行かなくなりました。前ほどではなかったですが、息子自身、学校へ行っていないという負い目があったのか、部屋に籠り気味に・・・。

それでも志望校を決める三者面談には学校へ行きました。

定時制にするか、私立にするか・・・。

先生が家に来てくれた時に、最終判断をして、定時制に決めました。願書も家で書かせてくれて・・・先生には忙しい中、本当に感謝でした。


受験・合格・高校へ

受験日もちゃんと起きるのか、行くのか不安ばかりでしたが、ちゃんと準備もして、無事合格しました。

歯医者など行かなければいけないところもすべて行き、高校生活が始まりました。


高校1年で退学の危機!

高校へ入っても行ったり行かなかったりを繰り返した息子、当時の担任が(息子や私にとっては)口うるさい感じの方で・・・。

出席日数が足りなくなることを必要以上に伝えてきて、私もまた先生の言うことをそのまま息子に伝えるようになりました。

一度は「やめる」と口にした息子ですが、高卒は必要と思い直したようで、続けることを決め、出席日数ギリギリで進級しました(笑)


高校3年秋、夢を見つける

コロナ禍、真っただ中の2020年秋、息子はある夢を見つけました。そしてその夢に突き進むために、高校を退学しました。

真っ暗闇だった中学時代を考えると、夢を見つけたことは奇跡!

現実問題、コロナ禍が終わった後に、高卒で仕事があるのかどうかも疑問。

私は応援することに決めました。


今では明るく笑って過ごしていますが、当時はかなり辛かったですし、何度も泣きましたし、私がいなくなれば・・・と考えたこともありました。

今でも不安がないと言えばウソになります。


でもこの経験を通して、私自身も自分の生きる道を考え始めることができました。

世間の目などを気にすることも、少しずつ減っていきました。

だから、実家を出て子どもたちと3人暮らしを始め(今は娘と2人ですが)塾講師として働き始め、子どもたちの未来をただただ応援しています。


この約6年間のこと(不登校で悩んでいたのは4年間くらい)を少しずつ書いていきたいと思います<m(__)m>

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