妊娠して、妊娠悪阻で入院して、休職・退職に至るまで
みなさまごきげんよう、もちこです。
前回のシリーズ、不妊治療記録をお読みいただき有難う有難うございました。
そこで休職をすることになった訳ですが、その話を詳しくお話ししていなかったので、私の体験談にはなりますが、お話ししたいと思います。
なお、妊娠は個人差がありますので、
「もちこはこう言っていた」「こんなことが起こるよ」
と全てを鵜呑みにせず、体験談としてお読みくださいませ。
始まるつわり
何回も書いている通り、私はつわりが5週目から始まりました。
最初は、なんとなく気持ち悪い…白米食べたくないなあから始まりました。
この頃、3学期の期末考査とかぶっていましたが、まだなんとか口にできるものがあり、耐えられました。
電車通勤も問題なく、特段感じていたことがそのようなことでした。
本当に運が良かったのですが、そのあたりで非常勤講師だったこともあり、昨年度の出勤は終わりになりました。
でも、心拍が確認できた7週目になると、飲み物でさえ、選りすぐりするようになりました。
その頃はお茶や水を口にしたくなくて、炭酸水や人工甘味料の入った炭酸ばかりを口にしていました。
ご飯も段々と食べられなくなり、気が向いた時に、食べられるものだけを購入し、食べていました。
それと同時期に、もう電車がしんどくなりました。
人の匂い、食べ物の匂い、花の匂い。
何を嗅いでも気持ち悪い状態です。
そして、嘔吐が始まりました。
何かを口に出すたび拒否する胃。
吐くものがなくても、吐きたくてトイレや洗面台に駆け込む日々。
でも、これはつわりの始まりで、全くもって良い方だったんだと、後になって気づいたのです…
休めない仕事とついていかない体
そんなわけで、学校の方はタイミングが良かったのですが、塾の仕事が休めなくて、本当に大変でした。
ただ、塾の方も運が良かったことがあり、つわりがしんどくなり始めた頃に、定年退職したベテランの人当たりのよく頼りになる男性が入職しました。
人任せにするつもりはありませんでしたが、弱っている時に戦力があるというのはとても心強いものがありました。
ただ、つわりはどんどん悪化していきます。
8週目後半になると、今度は水しか飲めなくなります。
ご飯はほぼ口にできなくなり、塾までの時間寝たきりになりました。
嘔吐の回数も1日に数えきれないほど。
仕事をしていてもトイレに駆け込んだり、裏でビニール袋に戻す日々。
仕事をしないといけないのに、回らない頭とついて行かない体。
帰宅途中の車でも嘔吐。
そして帰宅後も嘔吐地獄。
もちろんこの頃はシャワーなんて毎日浴びれませんでした。
シャワーを浴びる時も、お風呂の窓・扉全開、浴室乾燥の冷風をかけ、お湯の温度36度で浴びていました。
髪の毛は良くて3日に1度。だめなら5日ほどは洗っていませんでした。
そんな生活を2週間ほど繰り返し、ちょうど不妊治療のクリニックから近くの総合病院へ移転することになった時期がありました。
止まらない体重減少、血が混じる嘔吐
妊娠前肥満1類に含まれるくらい、ふくよかな体型だった私は、そんな生活であっという間に10キロ痩せました。
最初は、痩せてる!すご!と思っていたけれど、そんなことより、食べられない辛さと吐くしんどさがどんどん強くなっていきました。
そして、嘔吐のしすぎでついに嘔吐に血が混じるようになりました。
吐きすぎて、歯もボロボロ。
出てくるものって言っても食べていないので、緑のような黄色のような胃液なのか?というような分泌液だけ。
本当に信じられない状態で、仕事に行っていました。
この頃は水ではなく、OS-1に切り替わっていたと思います。
しかし、全く食べられないし、飲み物も1日に100から200mlくらいしか取れていなかったと思います。
大体OS-1を2、3日かけて飲み切っていたので。
吐いた後普通は気持ち悪いから口を濯ぎたくなると思うのですが、それをすると、濯ぐだけでもエンドレスで嘔吐するんです。
胃の中も口の中も水分を求めてないのか、本当に信じられないくらいでした。
もうこんな状態に耐えきれない、と転院する予定の総合病院に電話をかけ、初診を前倒しにしてもらうことになりました。
このくらい大丈夫、と言われ絶望
なんとかやっとの思いで病院を受診しましたが、女医さんに言われた言葉が
「このくらいなら大丈夫。あなた顔色はいいから。もっと酷い人は、倒れたり、車椅子でくるから、歩けてるでしょ?」
でした。
え…そんなものなの?
私のつわりってまだ大丈夫なんだ。
というかこれより辛い人がいるってことはまだ頑張らなきゃいけないんだ。
と思いました。暗示しました。
ただ、尿検査のケトン体の数値はMAXを示す「−3」
何が大丈夫なのかわからないけど、その女医さんには入院する必要なしと判断され、その日は帰されました。
ただ、付き添っていた母は、水も飲めないのに、ご飯も食べられないのに、何日続いてると思ってるの?とずっと隣で心配そうに私のことを見ていたそうです。(これは助産師さん談)
突然の痛みと入院
こんなわけで帰宅した私は、なんとか仕事をしていたわけです。
しかし、相変わらず状態が変わらない私は、フラッフラで真っ直ぐ歩けない、トイレと友だち。
けれど、前述の通り女医さんにはまだ大丈夫と言われた、と言い聞かせ、周りにもそのように説明していました。
幸か不幸か、職場の8割以上は男性しかも男子大学生が占め、妊娠・出産などとは今は無縁の人ばかり。
明らかに具合は悪そうだけど、大丈夫と言われたらそれまでだし…という感じだったのではないでしょうか。
初診から10日目が経ったとある日の午後。
ちょうど塾の仕事も休みで、夕方から美容室を予約していました。
急に訪れた胃のあたりの痛み。
噴き出る脂汗、止まらない嘔吐。
吐いても吐いても強くなる痛み。
すぐさま病院を受診。
すると、ケトン体の値は10日前と変わらず「−3」を示し、採血した際の他の臓器の値は悪化。そのまま入院することになりました。
初診の時の女医さんは、その日が出産前最後の出勤だったらしく、産休に入ってしまいました。
(自分が妊娠してたのもあって、大丈夫と言ったのかもしれません)
それなので、別の30代の男性医師が主治医になりました。
クールな人ですが、さすがにこの状態に驚き、
「もっと早く受診してよ!このままだと母子共に危ないよ」
と言われ、大丈夫と言われたと説明すると、
「大丈夫かどうかはもちこさんが決めること。だめなら無理しない」
そう力強く言ってくれました。
そして、診断書や母子健康連絡カードやその他必要な書類を書いてくれ、本当に親身になってくれました。
仕事と妊娠
退院するまで時間がかかると言われましたが、なんとか予定より早く退院させてもらい、塾に仕事復帰しました。
しかし、つわりが治ったわけではなく、迷惑をかけながらも学校へは出勤できないままでした。
退院した時は、4月も半ば。このままではいけない。
そう考えていた矢先のことでした。
また同じ痛みが発症し、すぐ病院へ逆戻り。
学校も塾も結局休まなければいけない。
体もしんどかったのですが、仕事に穴を開け、人に迷惑をかけている状態が嫌でした。一番辛かったです。
お大事にと言ってくれるたびに、本当はそうは思っていないんじゃないかとかそう気持ちも後ろ向きになっていきました。
結局、このぶり返した痛みがきっかけで、休職や退職を申し入れることを考え始めました。
学校は休職、塾は退職
学校側は最善を尽くしてくれ、退院後もし可能なら5月から復帰になる予定でした。
しかし、入退院が続き、体調が万全でないことから、私は退職を申し入れました。
するとすぐさま教頭先生と主任から電話がかかってきました。
「休職というのは考えられないかい?」
「今年度じゃなくても、来年度でもいい」
「もちこ先生の最善の時期やタイミングでいい」
「学校側としては、もちこ先生の復帰するまで待たせてほしい」
「代替の先生は探すから、気にしないでほしい」
大泣きしました。
非常勤講師の多くは、こうなったら退職になることの方が多い。
それなのに、こんなにも温かく見守って、慮ってくれる職場はあるだろうか?
何度も学校側と協議の末、5月末で休職、その期間は有給を消化し、最大限給与は支払いたいと言ってくださいました。
塾の方も同じように退職を申し入れました。
色々な仕事の引き継ぎもあり、6月末まではなんとか続けてほしいとのことでした。
当初はそうするしかないかと思いましたが、主治医からの強い反対にあい、押し切って5月末で退職させて頂きました。
塾の方は、私が務める必要のある仕事量が多く、本当に迷惑をおかけしたと今でも後悔の念に駆られることがあります。
こんなわけで、私は5月をもって仕事から一旦離れることになりました。
結論、選択は間違いでなかった
その後つわりは6月が終わってもなくならず、休職して正解でした。
さらに言えば、7月には膵炎と胆嚢炎で長期入院することになり、もっと正解でした。
続けていたら、大事な時期に迷惑をかけるところでした。
多分続けていたら、7月の痛みの時も我慢していたと思います。
本当に物事タイミングだと思いますが、何より健康や自分の体に勝るものはないと強く思いました。
私の場合、主人がフルリモートで働いていたことも運が良く、いつでも病院に連れて行っていける状態でした。
その主人に存分に甘え、心身また生活も頼りきりです。
感謝してもしきれません。
話が逸れてしまいましたが、妊娠している方やその周りの方は、異変や辛いことがあれば、大丈夫と思わないでください。
手遅れになってからでは遅いです。
万が一のことがあって、後悔しても、泣いても、遅いです。
とにかく自分を労って、人と、ネットと比べないで。
お互い元気な赤ちゃんを産みましょうね。
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