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恩師との別れ。死と永遠の始まり。

久しぶりにnoteを書く。今回は単なる日記になることをご容赦いただきたい。



バイト終わりにいつものようにLINEを開くと、旧友からのこんなメッセージが目に飛び込んできた

「突然ごめんね、前夜式と告別式の出欠を取りまとめて連絡したいから、
前夜式:出席・欠席
告別式:出席・欠席
どちらか教えてもらってもいいかな?」

体の疲れや頭の中にあった考え事は全て吹き飛び、心臓が送り出す血液の鼓動だけが体の中に残される感覚。あの時の感覚を言語化することが困難だが、きっとこれが「頭が真っ白になる」ということなのだろう、初めての体験だった。

急いで高校のグループラインを見ると、彼女がグループ全体に向けて母校の管理職の先生からの連絡を流していた。お世話になった先生が亡くなったとのことだった。

私は中学・高校とその学校に通っていて、その先生とは中学一年生の頃からの付き合いだった。担任の先生になることはなかったが、常に何かしらのクラスを持ってもらっており6年間ずっと交流があった。廊下や職員室で会う度に声をかけてくれる、フレンドリーな大好きな先生だった。

そんな先生ともう会えないという事実を受け入れる。この作業は私にとって簡単ではない。し、今の私がこの事実を受け入れられているかもわからない。



先生はクリスチャンだったため、葬儀はキリスト教の形式で行われた。キリスト教の葬儀は初めてだったため勝手が分からなかったのだが、殆ど普段の礼拝と変わらない(讃美歌+お祈り)ものだった。

キリスト教において死は「永遠の始まり」とされている。(らしい)
牧師先生のお話は先生の人生、先生のキャラクターを感じることができて、今までのお葬式よりも少し心温まるところもあったように思う。

牧師先生のお話は少し笑えるような要素もあって、先生の明るくジョークを飛ばしまくるキャラクターを思い出させる時間だった。牧師先生のコメント、愛に溢れていたんだよなあ。



もし、もう一度、先生に会うことが叶うのなら、
私がどれだけ成長したのか、どれだけ先生に感謝しているのかを一つ残らず全部伝えたい。

もう叶わないことだけれど、また天上で会えた時には、ビールで乾杯しながら高校時代を振り返って語り合いたいな。

それまではこのクソみたいな社会で生き延びてみようと思う。可能な限り。



最後に。先生が好きだったバンドの有名な曲を。
先生の天国への道はHighway to HEAVENであることを祈って。

またね、先生。

ありす


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