見出し画像

国葬が深めるものは対立か、対話か

別に私だけが言っていることではないが、国葬は国民を分断するだろうと書いた。

もうすぐ、その国葬が執り行われる。
あらためて言うまでもなく、安倍元首相は山上容疑者の銃弾に倒れた。

国葬を強く求める人たちが、山上母に重なって見える。
山上母は献金するお金を、自分のお金だと思っていただろう。少なくとも自分が自由にしてよいお金だと思っていたのだろう。それを、家族のために先祖のために世界のために正義のために真理のために使った。そこに私利私欲など微塵もない。

私は良いことをしている。強い意志と信念がある。私のお金で、私の自由意志で、正しいことをしている。
彼女の目には、自分の正しい行為の結果、家族みんなが笑顔になる未来しか見えない。

そして、その行為に傷つく人がいることを見ようとしない。彼女が使ったお金は、食費にも教育費にもなり得たことを考えない。「お金を失ったのは自分も同じなのになぜ文句を言うのだろう。」
今、目の前にいる家族の顔からは目を逸らす。それはサタンの形相をしている。サタンは敵だ。理解しようとしてはいけない。ただ自分のすべきことを粛々とやるんだ。

国葬を強く否定する人たちは、山上容疑者に重なって見える。
最初は、まぁそのぐらいいいさ、そのうち気付くだろうと思っていたかもしれない。そもそも子どもで何が起こっているか分からなかったかもしれない。しかし、エスカレートしていくに連れてこのままではまずいと必死で止めただろう。その声は本人が見ようとしないものを見せようと必死になり大声になっていく。
それでもその声が届かないとき、それは本人もやってはいけないと分かっていた行為に駆り立てる。

この結果は、母親の信心が足りなかったことが原因なのか。もっと力強く自分の信じることを行っていたら、果たして事態は好転しただろうか。

****

岸田首相は、終わってしまいさえすれば皆が忘れると思っているのだろうか。

旧統一教会は、教団にメッセージを送った日本の元首相の国葬を待ち望んでいる。
この首相は我らが据えた首相であり、その首相を日本は国葬にしたと喧伝し、信徒は大いに喜ぶだろう。やはりわれらの信念は正しかったと一層その信仰を強めるだろう。
そして旧統一教会が勢力をやがて盛り返せば、思想信条の近い自民党は同じく力を得ることになる。それが3年以内であれば、受けた傷は蚊に刺されたほどもないとでも考えているだろうか。

一方で、山上容疑者を主人公にした映画も公開されると聞く。
かつて日本赤軍だった足立正生監督は「山上を尊敬する」と公言している。

殺人者は英雄ではない。そもそも、山上はなにがしかの思想信条にもとづいて銃弾を放ったわけでもなく、テロではない。

「1人を殺せば殺人だが、百万人を殺せば英雄だ」とはチャップリンだが、チャップリンが言ったのは決して「だからどうせなら百万人を殺せ」ではない。敵だろうが味方だろうが、人を殺せば殺人だ。

山上と国葬は、どちらも大きなアイコンになりうる。
アイコンは独り歩きし、本人の思惑を超えて利用される。
分かりやすいアイコンは、濃淡を考えず十把一絡げにされる。
単純な二極化は対立を深める。

しかし、このアイコンを使って深めるべきは、対立ではなく対話のはずだ。

安倍さんのご冥福と共に、赤木さんらのご冥福もお祈りします。
この世のしがらみから解き放たれて幸せに仲良く過ごしていらっしゃいますように。

世界や自分自身をどのような言葉で認識するかで生き方が変わるなら、敬意を込めた敬語をお互いに使えば働きやすい職場ぐらい簡単にできるんじゃないか。そんな夢を追いかけています。