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極楽人生日和

親友は白い菊の中に囲まれて、箱の中に横たわって目を閉じていた。
人々は列を作り、何かを唱えたり一言挨拶をしたり、無言で彼を見つめているだけだったり、中には罵倒して会場を追い出される人がいたり・・・様々な人々がこれから出棺される彼の傍に花をたむけていた。お経がリズミカルに列の人々の動きに指示を与えているかのように、列は機械的に進んでいる。
僕は一人ぼんやりと最終列の椅子に座っていた。

親友は一昨日の夜、キーの刺さったバイクを盗んで走り出し大型トラックに跳ねられてあっという間に死んでしまった。
僕は当時、その現場にいた彼の最後を見届けた人間だった。
その日、僕らは二十歳になりたてで成人式の日だった。しかし、世の中と少々ズレている僕らにとって成人式とは全くの他人事であり関係のないことだった。
いつものように、フラフラとどこに行くでもなく、働くでもなく、プー太郎の僕らは酒をその辺の道端で飲んでは騒ぎ、遂に親友はその辺にあったバイクを盗難し、サイコーにイキったテンションで死んでしまった。あいつは最後の最後まで笑っていた。
なんて言って良いか分からない程、僕の中では親友が死んだという事実をのみ込めずにいた。

僕がぼんやりと一昨日の事を反芻していると、隣の席にストンと座る気配がした。僕は特に気にせず親友の遺影を見ていた。
「なあ、お前は俺のことわかるよな?」
隣を振り向くと親友だった。今、祭壇で横たわって眠っている親友だ。生きている。親友は死んだ時に着ていたスカジャンとデニムの姿で頭から血を流していた。僕は言葉を失う。親友はその様子に喜び、僕の腕をバンバン叩き「おお、やったあ!さっすが俺の相棒だな、お前だけだよ俺のことわかるの。あ、驚かないで、俺自分がユーレイってのはちゃんと分かってるんだよ。死んだだろ、俺。だから、なんか分かんないけど、大丈夫だから。」僕は、親友がはっきりとした状態で話している事に自分が幻覚でも見ているんじゃないのかと疑った。僕は、驚いて椅子から落ちた。親友は「だから驚くなって言ったじゃん。」と、ケラケラと笑っている。周りの参列者が僕を見ている。僕は気まずくなったのと死んだ親友がそこにいる事実に混乱し、会場から急いで出て行った。

会場から出てきた僕は、斎場の裏駐車場の粗末なベンチに座り頭を抱える。自分は親友が死んだショックで頭がおかしくなっているに違いない。いや、でも本人はユーレイだからってはっきり言っていたし・・・。でも本人が言っていたということはあれは本当に親友なのか?僕は冷静に考えるほど混乱した。親友がタバコを吸いながら隣に座った。僕は再び後退りする。「だからさ、驚くなって言ってんの。もう細かい事は考えんなって、お前の悪い癖だよ?俺だってなんで今ここにいるのかもユーレイでいるのかもわかんねえんだから、お前が混乱しても解決しないっての。」僕は驚きながらもユーレイの親友の言葉に納得した。親友はタバコを僕に吸えと箱を出してくる。僕はいつものようにタバコに火を付け、吸う。いつものように白い煙が空に二つ吸い込まれていく。僕は「いや、驚くだろう、普通に。ていうか、なんでお前ユーレイになったの?」と初めてユーレイの親友に訊く。極めて冷静に、動揺しながらも。「さあ、一応四十九日までは現世にいるのが鉄則なんじゃないの?知らないけど。」自分のことなのに他人事のような親友は、明らかに生きていた頃の親友そのものだった。「つうかさ、俺葬式って実は初めてなんだよね。斎場の食事って、結構豪華なんだな、びっくりしたよ。なあ、ちょっと見に行こうぜ。」親友は僕の答えを聞く前に血まみれの手で僕の腕を引っ張る。
相変わらず好奇心旺盛なのは良いが、せめて人の腕をつかむ時くらいは血は拭いてほしいと思う。

会食会場は葬式会場の真上の2階にあった。会食会場はかなり広く、大きめの三列の長テーブルの上に漆で塗られた和風の食器やビールグラスが並べられていた。食器には繊細な料理が盛り付けられていた。親友はもう死んでユーレイのはずなのに、テーブルにある料理を遠慮なく手でつまみ食いしビール瓶の栓を開け飲み流していた。僕はその様子を見ながら「これからお前どうすんの?」と訊く。親友は刺身を口に頬張りながら「うーん、あの世に行っても多分やる事なんてないよな。お前、なんか知ってる?でも、あっても俺、たぶん無理だな。強制されんの嫌いだし。だったらユーレイらしい生き方でもいいかもな。なんか楽しそうじゃん。」僕は親友らしい答えだと思った。僕はもう細かいことは気にせずこのままユーレイの親友と一緒に居続けても良いか、という思いになってくる。
会食会場の扉が開かれ、参列者がぞろぞろと入ってくる。「げえ、来るの早いなあ。あっち行こーぜ。」親友はまた血まみれの手で僕を引っ張り会場から出た。20歳なのにいまだ大人になれない僕らは最早、成人というより人として既にズレていた。何が原因でそうなったのかは分からない。気付いたらそうなっていたのだ。会場に入ってきた親友の家族は表情を消し去っていて、家族というより他人という雰囲気だった。僕は親友の家には行ったことがなかった。親友は中学から別宅を与えられ、そこで一人暮らしをしていたからどんな家庭なのかは知らなかった。親友から聞いたのは「多分本当の親子ではないからただの他人」という事だけだった。それ以上僕は何も訊かずにいた。僕は父子家庭で、親父とは仲が悪いけれど至って『普通の家庭』だと思っている。そんな至って普通の僕が親友の見せにくい部分を見る資格もないし、僕の家庭事情を話す理由もないと思っていた。親友は自分の家族を気にする事もなく、むしろ忘れているかのような様子でいた。

ガラガラの葬式会場に戻ってきた。ユーレイの親友は、祭壇で眠っている自分の遺体を眺め、鼻を摘んだり瞼を指で開けてみたり自分自身の体で遊んでいた。僕は呆れながらもその様子が妙に可笑しかった。僕は「元の体に戻ろうと思えば戻れるんじゃない?」と訊く。親友は「嫌だよ。だって体の骨バッキバキだし内臓ももうダメだろ。しかもトラックに跳ねられる時に骨が折れた瞬間の感覚を覚えてんだもん。戻れても苦労するだけじゃん。やっぱし、俺はユーレイで生きる。」成人式にも参加せず、働きもせず、何かしらの社会貢献をするでもない僕らが斎場でこうやって真面目にこれからの事について語っているのが可笑しく感じられた。しかも親友は既に死んでいるのに。真剣な様子で親友が語っていると、祭壇の周りが景色が回り始めているのに気付いた。時計回りにゆっくりと回っている。そして祭壇以外は宇宙のような空間に変化していた。親友はまるで遊園地のアトラクションに乗っているかのような上がったテンションだ。「葬式ってすげえな!」親友は興奮していた。興奮して、頭から血が吹き出している。僕も凄いとは思ったが何の為にこんなサプライズ的な演出があるのかも、なぜ今なのかも分からないし、何よりも親友の出血の多さに驚いていた。親友は顔全体が真っ赤に染まっていた。今更だが完全にホラーだ。

僕らが気付いた時には、そこは葬式会場ではない場所にいた。そこは見たこともない場所だった。青空の中、雲の上に光り輝く白い太陽が空気中にキラキラと輝く粒子らしき何かを照らしていて、信じられないくらい空気が澄んでいた。鼻がスーッと通る感覚がする。雲の上には仏と天女がペアになって踊っている。見渡すと至る所に現世では神々と言われているような人々がふわふわと不可思議な音色に体を乗せて平和的に踊っているではないか。仏はデレデレしているし、天女もまんざらではなさそうだった。奥にはシャンパンタワーらしきものまで見える。これまた不思議な形をしたグラスのシャンパンタワーに、宙に浮かんでいる巨大な壺から黄金色の滝が流れ、浄化作用を感じさせた。僕らは呆然としていたが、親友はすぐに興奮し始めた。「ほんっとうに葬式ってすげえな!クラブだよ、渋谷とかにあるクラブ!」そう言って、血まみれの顔で人生で初めてのクラブと思われる神々のいる中へ走って飛び込んでいった。親友の両サイドに半裸の天女がやってきて腕を組んでいる。完全にそういうVIPなところなんだと思った。突っ立っている僕の隣に、いかつい身体の羽衣を背負った険しい表情の男がやってくる。木の板に挟んでいる和紙を見ながら「お客様はまだこちらの会員ではありませんので、もう少し現世で修行を積んできてからまたご来店ください。」と厳かな声で言ってきた。僕は、ここがいわゆる極楽浄土という場所なのだと理解した。親友は既に奥で一際巨大な仏とソファーに座って談笑している。こっちの方が親友にとっては生きやすそうな世界だと思った。僕はいかつい身体の男に自分はいつ会員になれそうか訊こうとしていると、再び景色が回り始めた。「ああ、もうこれで本当に今度こそ、あいつとはさよならなんだ。」僕は直感的にそう思い、初めて胸が熱くなってきた。親友の姿が歪んで見える。「さようなら。元気で。」景色が段々宇宙に変わってゆく。僕が感傷的に浸って涙を拭っていると、奥から天女たちの叫び声が聞こえてきた。天女と仏の間をすり抜け雲の霧から大改造された光り輝くバイクがエンジン音を響かせ現れた。そのバイクに親友が乗っていた。「仏からバイク借りたから今から走りに行こうぜ!」親友は自信たっぷりに呆気に取られている僕を後ろに乗せる。その瞬間、極楽浄土から葬式会場に景色が変わった。

会場の入り口ではさっきまで会食を済ませていた親友の家族たちが、親友の遺影を持って霊柩車に乗り込む最中だった。祭壇でバイクに乗っている僕らに斎場のスタッフが気づき、戸惑いながらも今すぐそこから降りなさいと僕らに怒ってきた。「死んでる本人に祭壇から降りろって何なんだよ。」親友がそう言うと斎場スタッフは何かを悟ったかのような顔で「ユーレイ!出た!お坊さん!」と腰を抜かしながら叫んだ。「死んでからも説教を言われるとはな。」親友はバイクを勢いよく走り出した。親友のまだまだ出続ける出血が風に乗って自分の顔にかかる。だが不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
田舎の道路を僕らは走る。親友の遺体を乗せた霊柩車が手前で走行している。親友は速度を上げ、霊柩車に横付けする。後ろに乗っている小学生くらいの少年が俯いている。親友は、窓をコンコンと叩く。少年は親友のほうを振り向いて血まみれの親友の顔を見る。親友は「お前は頑張れよ!」と言う。少年は口を開けて静かに卒倒した。親友は「はっはっは」と豪快に笑って、霊柩車を追い越した。血飛沫が顔にかかりすぎて、僕も既に真っ赤になった。さっきの少年は親友の弟なのだろう。血が繋がっているのかは分からないが、僕の知らない親友の家族の部分を初めて知った。

僕らが生きてきた街は更なるスピード感を加えて見たことのない景色へと変わっていった。走る風の冷たい感触が僕らの鼓動を速める。バイクのエンジン音と風の音しか聴こえなかった。親友は「ヒャッホー」と叫んでさらに速度を上げた。僕も親友の生々しい血の温度を感じながら「うおー」と叫んだ。
どんどん速度を上げて隣町に差し掛かる手前でバイクが宙に浮き始めた。
そしてどんどん高くなってゆく。
さすが仏のバイクだ。
親友は「あーもーサイコー!!」と叫んでいた。
一昨日死んだ時よりももっと良い笑顔に違いない。
後ろに乗った僕は見えない親友の笑顔を想像していた。でも、本当のところは分からない。

街はどんどん小さく遠のいてゆく。
心臓の鼓動をこんなに感じるのは初めてだった。

僕はこの街から出ようと思った。
バイクを買って、知らない場所に行って、知らない人達と友達になろうと思った。ここにいる理由はないから。
それで、また親友に次に会える日が来るまで、しっかり生きようと思う。

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