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とけない雪

根雪の中に頭を突っ込んだ。
脳回路がショートしそうだったから。
衝動的なまま冷却行為に移した。
馬鹿馬鹿しい事をしている自覚はあった。しかし、これ以上嘘をつき続けるのは死にに行くようなものだと感じ、どうしようもない状態の中で見出した行動が頭を根雪に突っ込むという結果になった。根雪は眠っていた冷静な自分を呼び起こしてくれた。

クラスメイトの友人から「お前ほんと死ぬよ?」と笑われながら言われる。冷たい世界の中から顔をゆっくりと上げる。
燦々と盛大に降りしきる大粒の雪が、友人の隣に立っている彼女の存在をかすめさせていた。ふざけておどける自分もそこにはいた。
「確かに自分はもう死んでいるのかもしれない。」そう思った。
死んでいるならば、いっそ友人の体を乗っ取ってやりたいとさえ腹の中でぐるぐると回る。
彼女の表情からは何も感じ取る事はできない。

去年の今頃、彼女と将来について長い時間話した事があった。その日は、教室のストーブがいつもより柔らかく暖かく感じて、時間が止まったような気分になっていた。

大人になって何十年も経った。

根雪なんてものを見るのはテレビのニュース番組くらいになっていた。

「彼女は一体、今どうしているのだろうか。」

毎年この時期の2月に雪が降ると僕はそうやって彼女を思い出していた。彼女の顔をはっきりとはもう思い出せないのに、なぜかいつも心の中でストーブにあたっていた頃の事を思い返す。
頭を突っ込んだ冬のあの日以来、彼女の事を気に留めないように忘れようと努めた。でも毎年毎年、今の今まで雪が降る度に霞んだ彼女の姿が頭によぎる。なぜ忘れられないのかも、ずっと分からないままでいた。

元クラスメイトの友人から久しぶりに電話があった。5年ぶり位だ。同級会をしたいので幹事をしてほしいという事だった。いつも思う事だが、大人になっても友人は変わらないと思った。いや、それは自分の願望であって、変わったことをはっきりと意識したくなかったのかもしれない。人間は変わっていないようで、しっかりと変化はしているのだ。この世に永久に変わらないことなどないのだ。自分自身にもそれははっきりと当てはまるからこそ、そう思えることであった。
僕は友人に「そういえばお前の元彼女は今、どうしているの?」と聞いてみた。
実に自然と。今までずっと気になっていた事を今思い付いたかのような調子で訊ねた。友人は「彼女は一回死んで、もう一回生まれ変わるって言っていたよ。」と答えた。まるで理解できない回答だった。彼女曰く
「毎年毎年、こんなに分厚い雪に覆われて囲われて閉じ込められていると、自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなる。だから一回死んで、もう一回生きるよ。」
と彼に語り、シンガポールへ旅立ったそうだ。

あの日、教室で二人きりで話した会話が自然と蘇る。

「なんで生きているんだろうって時々考えるの。・・・生きているというより、私は生かされていると感じるの。その方が生まれた意味がある気がするから。」

彼女のことが忘れられなくなったのは、この瞬間からだった事に今更気付く。初めて心の底から打ち解ける存在に出逢ったと感じたからだ。


それからしばらくしてから田舎に帰った。

懐かしい通学路を歩きながら、何十年も前のあの日の事を思い返す。

根雪に衝動的な感情をぶつけることは、もうないのだろう。
積もった雪にそっと触れてみる。雪の冷たさは自分が置いてきた寂しさと哀しさがいまだに残っているのだと感じた。まだ溶ける事のない寒さが続く。
彼女の顔を表情を少しずつ思い出しながら、歩みを続ける。
当時、根雪に突っ込んだ場所に着いた。
そこにいたはずの昔の彼女は、昔のままで、昔の君であった。
自分は今の自分で、昔の自分ではない。分かりきっている。
枯れ木から熱を含んだ雫が落ちた気がした。

生かされていることも、今ここに立っていることも、全然違う自分になっていても、きっと意味がある。

昔の彼女はそう、目の前で語った。



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