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宗教と私

こ無沙汰しております。

先日、元総理が銃撃され逝去された。
心から哀悼の意を表したい。
それとは別に、 本日は投開票があった。どの局もなにかとその件をリンクさせている。選挙特番なのに、まるで追悼番組になっている。 本気で腹が立つのでテレビを消した。

日本は終わった。終わっている。いや、とっくの昔に終わっていたのかもしれない。敗戦国なのだ。勝っていたというのも疑わしい国だ。しかし今、まさに終わっているところなのかもしれない。滅びているのだと思う。なのに良くしようとしないのは自分とその周りだけがよければよいという政治家たちが舵を切ってきたからだと思う。今も続いてる。そして、それについて行く人たちも『昨日と同じことを一生やっていたい。 』『今日と同じ幸せが一生続きますように。それがわたしの幸せ』と本気で思って思考停止している人たちによる投票が止まないんだと思う。残念だ。

最近気づいたのだが、日本人のお金持ちや賢い人たちは日本に住んでいない場合が多い。あっちゃんもシンガポールへ行ってしまったし、ノーベル賞を受賞した人もとっくの昔に英国に移り住んでいた。

はぁ。知らなかったよ。

さて。
宗教と私。
私は一切の新興宗教に入会していない。
日本の伝統的な仏教も熱心ではないし、団体との関わりかたもわからない。
神や仏を信じるのは自由だが、それを皆に広めようとすることに強い抵抗感がある。宗教団体は、教祖や神や仏のファンクラブである。にもかかわらず勧誘などという行為を行うことが許せないのである。ファンクラブというものは、ファンに推しがいて、どうしても推したいから入会するのである。勧誘などされたくないし、しなくても集まってしまった者同士でやってくれればよいではないか。そう思う。誘うから余計怪しいし、私は決して入会はしないことにしている。

私がうまれ育った我が家には家訓があった。簡単な
禁止事項である。

一つ、登山禁止。理由、遭難して迷惑をかけるから。

一つ、宗教禁止。理由、不明。

一つ、薬物禁止。理由、身を滅ぼすから。

一つ、犯罪行為禁止。理由、当然。職を失うから。


そんなわけで、山の多い環境にいても家族でスキーも登山もハイキングもした覚えがない。


父は仕事のない日は、よく遊んでくれた。母は離れて住む祖父母や曾祖母のお世話をしていたせいか、ほとんど遊んでもらった記憶がない。気がつくと母は疲れて眠っている姿が思い出される。まだ嫁の役割が押し付けられていた時代である。昭和か。昭和だよ。あと平成だな。なんだったんだろうね。

キリスト教は同性愛に批判的なのに、実態としては少年に手を出している神父さん牧師さんが世界中で複数挙がっていることがどうしても気になるので、近づかないようにしている。あとあの長い聖書を読みたいと思えない。いちいちつっかかってしまう。ミサに誘われたり、教会が立地的に近かったりすれば行くのかもしれないけれど、誘われもしないし生活圏内にある協会は駐車場がどこかもわからないので、車で通りすぎるだけにしている。それに、教会の建物が丘の上にあってとても行きたいとは思えない。バリアフリーじゃないなーとおも思う。そとから見てバリアーな施設ならばそれはもう中に入る必要はないと思う。御朱印帳も買ってみたが、真面目に集めていない。昔、仕事をしていてオウ ム真○教の信者さんと間違えられ文句を言われたことがあったが、私自身なんの関係もない。もしかしたら、所属していた事業所 が関連企業なのか?!と疑ってみたがなんの証拠もなかったし実際なんの関係もなさそうであった。オウ ム真○ 教関連でいうと、近年発売されたドキュメンタリー作品のDVDは2本購入して視聴した。アーチャリーの書籍も出版後すぐに購入して読んだ。幹部だった死刑囚の本も本棚にある。近くまで行くことがあれば、ひ○りの輪、ア○フの各拠点前の道をわざわざ通りかかるようにはしている。現在の彼らの姿を拝見できるならしたいとは思う。どんな生活をしているのか、気になる。仏教では、お釈迦様のことを尊敬しているけど(そんなに詳しくは知らない)、日本に住みながら原始仏教を熱心にやることもないし、出家する気合いもない。大乗仏教の各宗派の違いは詳しくは色々あるんだろうけれど、その境を乗り越えるのはなかなか困難。檀家制度の続きが未だにあるのだから不思議だ。墓じまいをすることすら面倒なのもあるのかもしれない。お金持ち、農民中心、、、、実家の太さに結構関係していたりしてこれまたうんざりする。

眠い。

ひとまず、寝ます。
おやすみなさい。

読んでくれてありがとう。



元気に長生きをするつもりです。 どうぞ気長におつきあいのほど よろしくお願い致します。