インターネットがあれば生きていける
「今、本当に楽しいか?」
誘われた飲み会やイベントには必ず出席する。頼まれたことは断らない。
そんな風に20代の前半を過ごしてきたが、ある時からこんな感情が出てくるようになった。
仕事がつらくて、安給料。手取り14万円の事務の仕事をしていたわたしは、「このままじゃやばい」と思い副業を探した。
そこで出会ったのがライターという仕事で、本を読んだりスキルをすこしでもつけようと勉強に勤しんだ。おそらく人生で初めてちゃんと勉強をしようと思った。
そうすると、今まで行っていた飲み会やイベントに参加することも次第に減っていたのだ。
何カ月かぶりに友人数人と会うことになり、久しぶりの再会にワクワクしていた。
しかし話してる内容は、仕事の愚痴やら嫌いな人の悪口、こういうやつはこうだとかああだとか。
「あれ、なんか楽しくないかも」
周りの友人は大層盛り上がり楽しそうだったので、自分だけ取り残されたような気がした。
というのも、ネットの知人と会っている時なんかはお互い好きなことの話がメインだったりもするので、なにを愚痴たれているんだろうかと思ってしまった。
わたしの話になったので「結婚するんだよね。」と言ったら「あー、そろそろすると思ってた。結婚式呼べよ。」と言われた。
「家族だけでやるから、友人はそんなに多く呼ばない」と話をしたら「いや、俺は呼べよ!仲良いだろ!」と、熱く説教された。
こいつだけは絶対呼ばないでおこうと思った。
前まで楽しいと感じていたことが、楽しくなくなってきている。好きだと思っていた人間のことを苦手になっている。
こんな現象にしばらく悩まされていた。わたしは自分の既存の価値観が変わることを恐れていたのだ。
ある啓発本に”友達なんていなくてもいい”と書いてあり「なにを言っているんだ」と友情至上主義のわたしは理解できなかった。
しかし今なら、すこしだけ理解できる気がする。”友達なんていなくてもいい”というのは極端な話だが、友達がすべて自分の思いをかなえてくれるわけではないということ。
コロナの影響で人と会うことが一層減った。結婚と同時に仕事も退職した。
わたしが社会と関わるツールはインターネットだけだった。
友人の中にはわたしがやることに否定的な人間もいた。「また仕事辞めるんだね」「もうちょっと頑張りなよ」
わたしは飽き性だし仕事も続かない社会不適合者の手本みたいな人間なので、友人がそう言うのも無理はない。
しかしインターネットの中では違った。
わたしの文章は純粋に面白いと言ってくれる人。書いた記事を拡散してくれる人。激励の言葉をかけてくれる人が存在した。
インターネットの人間は誰よりもわたしを励まし、肯定してくれたのだ。画面越しに存在する生身の人間の愛に胸がふるえた。
学校に行ってなかった時も、毎日のように掲示板にべったりと張りついていた。友達がいなくても「仲間」はいるんだと思って過ごしてきた。
当時の感情が鮮明に思い出され、10年以上たった今でもわたしにとってインターネットは救いだと感じた。
友達がいなくても、気の合う人間が少なくてもインターネットがあれば生きていけるとわたしは確信した。
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