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2年前に失恋して、少し前に恋をした。


覚えているかと問われると、正直あまりよく覚えていない。


ただ、ぼんやりと熱を帯びたような瞼の重たさと、午後の淡い光が揺れるバスの風景は、なぜか今でも鮮明に覚えている。

2年前、私ははじめて心から好きになった人と離れた。

正確に言うと、離れなければいけなかった。私の意思とは関係なしに、土砂降りの初夏の夜、彼は私に別れを告げた。

その日から、あまりにも一方的な恋だった。

まっさらな光が降り注ぐ使い慣れた小さな駅で、いつも隣を歩いていたはずの彼の背中を探した。

何処に行っても何を見ても、そこには楽しそうに笑い合う二人の面影があった。胸の奥が揺れた。当然だ、いつも一緒だったんだもの。小さな家々が遠ざかり、平たく伸びた雲が流れていく光景を電車の窓越しに見ていた。


とても、悲しかったんだと思う。ふいに零れ落ちそうになる涙を必死に抑え込み、手にしていたペットボトルのお茶を飲んだ。なんだか、とても温くて美味しくなかった。


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過去の眩しい残像が瞳の奥にちらつき、いつもたまらない気持ちになっていた私は、何も見ることも、何も感じることもできなくなってしまっていた。無意識のうちに辛さを押し込めていたのだろう。時折、苦しくて電車を降りた。

ふいに会いにくるくせに、「もう好きじゃない」なんて言う彼のことが嫌いになれなくて、そんな自分のことがとても嫌だった。恋なんて、本当に脆くて儚い夢だった。人を好きになんてなるんじゃなかった。そう思った。

それでも生きていれば、色々な人と出会う。でも、他の人と恋愛に発展することはなかった。もう、恋はできないのかもしれないとまじめに思った。

精神的に病んでいたわけではないし、友人や家族と過ごすゆったりとした時間は、とても心地よくて楽しくて、私の心を癒やしてくれた。時間が経てば忘れるし、いまは幸せだ。そう言い聞かせたけれど、一人になるとやっぱりどうしても思い出してしまう。

恋に溺れたことなんてないし、束縛だってむしろ嫌いな方。恋愛依存とは真逆の性格。なのに、どうしてだろう。自分、重たいかもと苦笑した。「早く忘れなよ」と囁く天使がいて、それでもずっと幸せだった記憶を脳内に流し続ける悪魔がいた。もう戻れないなんて頭では分かっているはずなのに、いつかまた隣を歩ける日が来るかもしれないなんて、どこまでも馬鹿なことを考えていた。

人をひとり好きになるという意味を、このときはじめて知ったような気がする。好きになるということは、いつか来るかもしれない別れにもきちんと向き合う覚悟が問われるということ。その辛さに絶えられないなら、誰かを好きになることなんて、到底許されない。




去年の夏、彼との連絡手段を一方的に途絶えさせていた私は、久しぶりにSNSのブロックを解除した。彼は私のことをブロックしていなかった。何も。

どうしてだろう、なんだか無性に悲しくなった。私だけがすごく意識しているみたいで、苦しくて息が詰まった。でも、もし私が連絡手段を切らなければ、もとの関係に戻れたのかもしれないという後悔の気持ちのほうが強かった。メッセージを見返していると、スタンプを送りあって他愛のない話をして笑う、幸せな日々が残っていた。もう何もかも削除していたので、唯一の彼との記録だった。

「コロナ、いますごいね。大丈夫?」

気がついたらそんなメッセージを送っていたような気がする。しばらく更新が止まっていたから本当に心配だったこともある。けれど、随分と会っていない彼のことが、このときばかりはとても気にかかったのだった。でもそれから、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても、返信が来ることはなかった。

あのとき、彼にメッセージを送ってよかった。今でも心からそう思う。返信がないことで、私への気持ちが向いていないことも、少しも気にかけていないということも、全部全部分かってしまった。


時間、無駄にしたんだけど。

思わせぶりな態度ばかりとって、時間返してよ。


あーあ、という気持ちになって、ふと息をついた。あれから初めてちゃんと景色をまっすぐ見ることができたような気がする。夏の昼間の空。もくもくと盛り上がった入道雲が、くっきりとした輪郭を広い空に残していた。澄んだ空気が気持ちの良い日だった。

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それから大学の卒業式を迎えた。楽しくて幸せだった日々にここでさよならを告げる。入学式のときよりずっと大人っぽくなり背筋が伸びた友人を見て、綺麗だと心から思った。


私も4年間で少しは成長できたのかな。少なくとも、恋をして、別れて、あの時に感じた悲しみよりずっと深くて大きな何かを手にすることができたんだろうと思う。袴を着た私は、「ありがとう」と小さく心で呟いた。


それから数日後、いまの恋人に出会った。


初めて遊んだ日には、カメラを持ってなんでもない道で一緒にはしゃいだ。趣味が同じだからという理由ではなく、恋人の持つなんとなく緩くて穏やかな空気感が好きだった。歩いているだけで自然と言葉が吐いて出る。人と話すことに緊張を覚えてしまう私なのに、柔らかな空気感が私の本心を引き出した。


ゆるゆると流れる時間はあっという間で、「楽しかった」が「また会いたい」にいつしか変わった。


かつての恋人と一緒に訪れた場所に行っても、過去の幸せだった記憶を思い出すことなんて一瞬たりともなく、自分でも心底驚いた。


いま、このときがすごく楽しい、幸せ。


そう思えたのは、本当に久しぶりだった。


恋人は、おっちょこちょいで方向音痴で、ちょっと不器用。

でも、こんな私に全力で向き合ってくれる。一緒にいると、心が優しい色で満たされていく。

傾いた夕陽が眩しい、狭いキッチン。包丁を握る背中越しに「不器用だね」と言うと、「不器用だね」と言われて、笑い合う。

そんな時間が、とても愛おしかった。

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だぶん、以前よりずっと変わった私だからこそ、出会うことができた人のような気がする。

過去の記憶が嫌なものでもなく、幸せなものでもなく、私の中に事実として今日も生きている。

きっと、誰もがそうなんだろうと思う。辛く苦しい記憶を、時間とともにまあるく削り、今日も誰かを好きになる。人は、なんて悲しくて儚くて尊い生き物なんだろうと、そう思う。

でも、それでも私は、人を好きになるということの意味を考え続けたい。

そしていつか、貴方を好きになってよかったと、恋人に伝えたい。

私はいま、とても幸せだから。

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