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異文化は海外だけじゃなくて日本の中にもある

私は今、メーカーの駐在員として中国上海で働いている。

2月、中国は旧正月のお休み。ありがたいことに私も12連休の真っ最中だ。
日本に一時帰国し、毎日たっぷりすぎるくらいに睡眠を取っている。納豆と鮭フレークのおいしさを噛みしめている。

休暇の前半は私の実家、後半は旦那の実家におじゃましている。家族との会話のあたたかさが嬉しい。

私の実家は、東京23区内。買い物もカフェも充実しており、電車ですいすい移動できる。キャッスレスだけで生活できるのもありがたい。

旦那の実家は、香川。田舎だ。電車は1時間に一本、車中心の生活。無印良品は県内に2軒あるけど、鳥貴族も中川政七商店もBEAMSもない。唯一の観光地である金毘羅山に登ってみたが、頂上からの景色に「スカスカじゃん」と思わず声が出た。ビル全くなし、田んぼだらけ、空き地多数。

香川にいると、違和感がある。東京と違うことが、あまりにたくさんある。

例えば、町で見かけた「ニコニコ八百屋」の看板。原色のみで、かっこいいとは言えないな、と感じる。ブランディングという概念がここにまだないみたいだ。

商店街のお肉屋さんでは、「あら!〇〇さん家のお嫁さんなの!立派ねぇ」と褒められた。お肉屋を買うのに名前や家族構成を聞かれたのは初めてだ。アットホームなお肉屋さんだな、と思ったけれど、おしゃべりしていないで早く会計してほしいな、とも感じてしまった。おしゃべりしても、列ができないのも田舎ならではだ。このお店、いつかクレジットカードも使えるようになるのだろうか。

うどん屋さんは、営業時間7:00から14:00まで。起きたら午後だった!なんていう日にはうどんを食べられない。スーパーは18:00に閉まる。ファミレスまで車で30分かかる。朝早く起きて活動し、夜早く帰っておうちでごはんを食べるしかない。決まったライフスタイルを強要されているようで、健康的だけどちょっと息苦しい。

田舎のスタバが空いているのはありがたい。自由に席を選べる。でも周りに仕事をしている人はおらず、居眠りするおじいちゃんと妊娠の話で盛り上がるギャルだけ。パソコンを開いているのは私だけで、私が一番頑張っているんじゃないかと錯覚してしまった。そんなわけないのに。

海外では「日本と違う」という前提のもと人や街に接する。だから違うことを受け入れ、楽しもうとして、染まれる。染まった自分を褒めたくなる。

でも、日本の田舎では、「都会より不便である」ことに苛立ってしまう。頭では分かっているのだ、田舎は普通で、東京が発展しすぎてしまっていること。でも東京で生まれ育った私は、都会の常識に当てはまらないことを不便と感じてしまう。良くないと分かっているが、感じてしまう。

「海外生活なんてすごいね、どこでも暮らしていけるんだね」とよく言われる。が、私は上海に住めるけれど、田舎には住めない。

今の状況は、割と好きだ。親族が日本のあちこちにいて、泊めてもらえて、おすすめを教えてもらえる。知らなかった土地に出会え、居心地の良い図書館やカフェも見つけた。でも、数日で飽きてしまう。都会の商業施設が恋しくなる。香川をずっと好きでいるためにも、住むのは、やめておこう。

都会っ子にとって、田舎は異文化だ。


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