東京旅行と青天井
僕は関西で生まれ関西で育った。だから当然、関西弁を話し、阪神タイガースを応援し、文末には「知らんけど」を付け、お腹が空いたらマクドに向かう。
そして当然、東京に対してうっすらとした苦手意識を抱いている。
いったい東京の何がそんなに気に食わないのだと問われると、一瞬言葉に窮する。咄嗟に何も言えないのだから、確固たる考えや論理的な分析結果が自分の中に存在しているわけではない。「人に個性がない」「いろんなものを寄せ集めただけの都市」「人が多すぎてうんざりする」などのよくある理由を、ただなんとなく鵜吞みにしているに過ぎない。だから最近は、東京という都市の姿を実際に確認する必要があるな、と考えるようになっていた。
そこで、内定先の都合で呼び出されたのをよい機会として、東京をぐるっと観光して回ることにした。もちろん東京23区には多種多様な人やモノや建築物があって、とても数日間ですべてを見ることはできないが、それぞれの街の雰囲気ぐらいはそれなりに掴めた気がしている。以下、写真を中心に旅行の内容をざっくりと記録していく。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・東京駅
・インターメディアテク
・お台場(散策)
・日本科学未来館
・渋谷(散策)
・明治神宮
・原宿(散策)
・歌舞伎町(散策)
・秋葉原(散策)
・アメリカ横丁(散策)
・上野恩賜公園
・国立科学博物館
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上。お楽しみいただけたなら幸いである。
この数日間の滞在で最も印象的だったのは、あまりにも多い人の数だ。一人の人間が記憶しておける他人の数の上限値がいくつなのか知らないが、東京ではその人数の数千倍、数万倍の人間が、それぞれ勝手気ままに生活しているようだ。その天文学的な数の多さは、個人の感覚からしてみるとほとんど無限のようにも感じられる。さしあたり、「人が多すぎてうんざりする」のは間違いなさそうだ。
もう一つ印象に残ったこととして、街ごとの雰囲気の違いを挙げたい。東京23区という比較的コンパクトなエリアの中に、様々に異なる空気感の街が一緒くたに詰め込まれているのは、東京の特筆すべき点だと感じる。そして、それぞれの街の中では、同じようなファッション、同じような顔つきの人がたくさん見受けられる。街によって人間性が決められているようにも感じられ、少しだけ不気味だった。その点を踏まえると、外から見ている立場から「寄せ集め」「個性がない」という言説が生まれるのも、まあわからなくはない。
しかし、と僕は思う。東京に住む人はみな、一つのエリアに縛り付けられているわけではない。霞が関で働きながら休日は秋葉原で過ごす人もいれば、原宿のクレープと上野の美術館を同時に愛好する人もいるだろう。大きな類型のステレオタイプに囚われず、個々人の暮らしに着目してみると、個性豊かな人間が暮らす血の通った場所としての東京が想像できる気がする。
思うに、東京とは、住人に無限の選択肢を提示するシステムだ。それを共同体として見ようとするから、冷たく、退屈で、無個性なものに感じられるのだろう。そうではなくて、無限に近い人間に無限に近い選択肢を与える、その割り算をイメージする。そうやって生まれる一人ひとりの集合体として東京を捉えることで、少しずつ苦手意識は薄れていくのではないだろうか。
東京というシステムが本当にうまく機能しているのか、僕は知らない。「この商品を買った人はこんな商品も買っています」が大抵当たっているように、人の在り方は結局いくつかのパターンに分けられて、その中で人々は商業社会に踊らされ続けるのかもしれない。あるいは、共同体というセーフティーネットが失われることで、人々は果てしなく孤独な存在になっていくのかもしれない。だから僕は、東京中心主義には待ったをかけたいし、将来住む場所として東京を第一希望にすることもない。
しかし、東京に住む無限の人々がそれぞれ何かを求めて何かを選ぶ、その過程には最大の敬意を払いたい。そしてもし僕がそこに住むことになるのなら、僕自身も自分らしさを追求することを諦めないようにしたいと思う。その結果が大きな類型に当てはまるつまらないものだとしても、積み重ねた選択の数には何らかの価値があるはずだ。きっと。たぶん。ま、知らんけど。