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読書感想文:『熱帯』

森見登美彦『熱帯』(文春文庫)

ある日、忽然と消えた一冊の本。佐山尚一なる男が記したその本『熱帯』を求め、森見登美彦は東京へ。そこには既に手掛かりを得て探索に乗り出さんとする一団がおり、彼らもまた「不可視の群島」「海上を走る列車」──そんな不思議な光景に心を囚われていた。全国の10代が熱狂、第6回高校生直木賞を射止めた冠絶孤高の傑作。(裏表紙より引用)

 ※物語中盤までの内容に触れる部分があります。


 『熱帯』は不思議な本だった。不親切な本だと言ってもよいかもしれない。謎は提示されるばかりで最後まで解決されず、途中からは語り手が誰かさえもわからなくなる。僕はどちらかと言えば綺麗に風呂敷が畳まれる物語を好むほうだから、この本を読み進めるのにはそれなりに苦戦したし、読了したときには釈然としない感覚もあった。内容も、読んだことさえも忘れてしまうかもしれないな、とも思った。しかし、それでもいい、いやそれだからこそいいと思える要素がこの小説には詰まっている。

 僕がこの小説の最大の特徴として挙げたいのは、物語の登場人物がさらに物語を披露する、入れ子構造が繰り返される点である。作中の言葉を借りるなら「物語のマトリョーシカ」だ。森見登美彦の話、その中に登場する白石さんの話、その中に登場する池内氏の話、その中に登場する芳蓮堂主人の話……というように、小説の中で物語のレイヤーがどんどん積み重なっていくのである。作中で重要な役割を持つ『千一夜物語』に倣ったこの形式によって、読者は(そして登場人物たちも)どんどん物語の深層に沈んでいき、現実と非現実の境界線を見失うことになる。何が「現実」なのか、そもそも最初から「現実」ではないのか?  自分が今読んでいる『熱帯』は作中に登場する『熱帯』と同じなのか、それとも違うのか? このフラクタル構造によって、『熱帯』は読者の理解を超えた謎の存在になるのである。

 実はこの仕掛けの意味は、物語の序盤、「沈黙読書会」の主催者によって読者に提示されている。

「俺たちは本というものを解釈するだろ? それは本に対して俺たちが意味を与える、ということだ。それはそれでいいよ。本というものが俺たちの人生に従属していて、それを実生活に役立てるのが『読書』だと考えるなら、そういう読み方は何も間違っていない。でも逆のパターンも考えられるでしょう。本というものが俺たちの人生の外側、一段高いところにあって、本が俺たちに意味を与えてくれるというパターンだよ。でもその場合、俺たちにはその本が謎に見えるはずだ。だってもしその本が解釈できると思ったなら、その時点で俺たちの方がその本に対して意味を与えていることになってしまう」

 僕が拙い感想文を書くまでもなく、このセリフが、そのまま『熱帯』が試みたことを説明しているように思う。作中の謎がほとんど解決されないのも当然のことだ。我々の解釈を必要とせず、むしろ我々を取り込む一つの世界として森見登美彦が生み出したのが、『熱帯』なのである。そして語り手は、「森見登美彦」であると同時に「佐山尚一」であり、そして僕たち自身でもある。読者は、現実世界で『熱帯』という小説を読みながら、登場人物と共に京都を探索し、やがて「不可視の群島」に漂着する。ここまで読み進めた時点で、僕たちは既に『熱帯』の魔術に囚われた登場人物の一員なのだろう。

 そんな『熱帯』だが、中盤までの舞台は森見作品お馴染みの京都である。この小説で、京都は「現実世界」と「物語世界」を繋ぐ架け橋の役目を果たしている。京都という街の独特な雰囲気が森見の幻想的な作風と切っても切り離せない関係にあることはいまさら言うまでもないが、本作では特に、京都を舞台として物語が展開されていることに大きな意味があると思う。なぜなら、京都はそもそも「過去の世界」という異世界を内包する場所であり、現実と非現実の境界が不明瞭になる場所としての強い説得力を持っているからだ。

 毎日多くの(多すぎる!)観光客が訪れる京都という都市の特徴は、やはり、歴史を感じさせる建物が多数存在している点だ。もっと言えば、独立した区画として歴史遺産が保存されているのではなく、現代的な発展を遂げた都市と歴史的な街並みや神社仏閣が共存していることが、京都らしさの源泉であるように見える。ただ歩いているだけで、現在に保存された「過去の世界」と巡り合える場所は、世界広しと言えどもそう多くはない。それが、京都という街の特異性であり、大量の観光客を引き寄せる大きな魅力の一つであると言えるだろう。

 なお、この「過去の世界」とは、物理的に存在する建造物や自然にとどまらない。それらを容器として受け継がれてきた様々な伝統文化も、現代に生きる人々にとっては異質な「過去の世界」の一部である。『熱帯』に登場した五山の送り火や吉田神社の節分祭も、そうやって保存されてきた異世界の一つであるからこそ、現実とも幻想ともつかないような不思議な空間としての役割を果たすことができたのではないだろうか。

 このように、京都という街は最初から、有形無形の過去という異世界に向かって開かれている。それゆえに、「物語世界」という異世界に向かう扉が開かれても、なんとなくあり得そうなことに思えてしまうのである。登場人物たちが生きる現実世界と、物語の中の「不可視の群島」との間をつなぐ舞台として京都が選ばれたのは、きっとそういう理由なのだろう。あるいは、そういう場所を舞台にするからこそ、森見登美彦は『熱帯』をはじめとする数々のファンタジー小説を生み出し続けることができているのかもしれない。

 とにかく、『熱帯』は不思議で、不親切な本だった。僕が「好きな本を教えてください」と訊かれてこの本の名前を挙げることはおそらく一生ないだろう。しかし、数十年後の僕が京都での学生生活を振り返るとき、もしかしたらその思い出の中に白い砂浜や海を走る列車、砂漠に建つ宮殿が混じることがあるかもしれない。「はて、この風景、いったい何の記憶だっけ?」と僕が首を傾げるその瞬間、『熱帯』の魔法は完成を迎えるのだろう。いつかそんな日が訪れたら楽しいだろうなと思わせてくれる、謎に満ちた小説だった。

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