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”研究のはじめ方”の手引き(5):先生や先輩に質問するときの3つのコツ

新大学院生にむけて、博士課程3年目の私が「もっとはやく気づいていればよかったー!!!」なことのなかから、”研究”にまつわる初歩的な重要事項を記す連載です。

前回は、サーベイがうまくいかないときに考えられる理由の2つ目について記しました。その際に、適宜先生や先輩を頼っていくことも大事だといいました。

今回は、サーベイがうまくいかない理由の3つ目にいく前に、先生方や先輩方に研究について質問したりアドバイスを求める際に大事なことについて記します。

【補足(毎回共通)】私の研究分野は経済学ですが、それ以外の分野も、細かいところは違っても大枠の捉え方は同じなんじゃないかなあ、と思っています。(違ったら、コメントしてくださいませ。)
また、記事全体での”大学院”や”大学院生”という記述は、法科大学院やアカウンティングスクール、MBAなどの”専門職大学院”をのぞきます。

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前回のポイント:自分の興味を具体化して、”テーマ”から”問い”に絞っていく

・サーベイとは(2回目の記事):これまで先人たちがやってきた研究(先行研究)を把握して整理すること。
・サーベイがなんだかうまくいかない理由①(3回目の記事):先行研究同士の細かなGap・差異に囚われすぎている。
・サーベイがなんだかうまくいかない理由②(4回目(前回)の記事): 新しい何かを発見すべく立てた”問い”の範囲が広すぎる&十分に具体化されていない。
・”テーマ”とは:「〜〜について知りたい」「〜〜について興味がある」のような大きな話。
・実際に研究をしていく際に必要なこと:”テーマ”を具体化して絞っていって、この研究で答える”問い”の形に持っていくこと。
・具体化しないと文献を絞れない:ある程度興味を絞って具体化していないと、どの文献を読めばいいのかわからない。
・でも文献を読まないと具体化できない:文献等を読んで知識を仕入れないと、具体化の作業はできない。
・「どうしたらいいのかわからない」と煮詰まったときは:先生や先輩に意見を求めてみよう。

”わからないことが何か”がわかっていないと、相手にされない……!?

「で、結局何がわからないんですか」

修士1年目の頃、先生方や先輩方に本当によく言われた言葉です。

ちょっとこわい先輩には、「何がわからないのかもわからないのに、質問に来ないでください」なんてきついことも言われました。

「”わからないことがある”ということをわかっている」
無知の知、的なものは結構みんな持っています。私も持っていました。

でも、「わからないものは何か」を明確にすることは、当時の私は全くできていませんでした。
優しくて経験豊富な先生は苦笑いしつつも一生懸命察して、「ああ、じゃあこの教科書読んでごらん」と親切に助言してくれるのですが、中には相手にすらしてくれない方もいらっしゃいます。

「何がわからないのか」「何に悩んでいるのか」「どうしたいのか」が明確にわからないと、先生や先輩も、それに適したアドバイスができずに、困ってしまいます。
「で、結局なにがわからないの」「で、なにがしたいの」と言われてしまいます。

質問するときのポイント①:主体的に学ぶ姿勢で

大学院の先生方は、”先生”であっても、中学校や高校の先生とは性質が違います。

大学院の先生(特に指導教官)や先輩は、「ただ教える」ではなく、「あなたがしたいことのために必要な助言をする」存在です。

その助言の中には、「このテキストを読んでこの知識をつけた方がいいと思う」とか「こういう方向で研究を進めたらいいんじゃないかなあ」とか「そこは違うよ、論理がおかしいよ」とか、いろいろたくさんあります。

でも、「ただこれを勉強しておいて」「ただこれをやって」っていうことはないはずです。あくまで”あなたのやりたいこと”があって、それに対して、助言やコメントをするに過ぎません。

「これ、わかりません」「これからどうしましょう」
自ら”学ぶ・考える”姿勢なしに、こうしたぼんやりとしたわからないことや不安を投げても、先生方は困ってしまいます。

聞いたらなんか答えを教えてくれるだろう、と、ぼんやり質問を投げるのではなく、「こういうことが知りたい」「この文のここの論理がわからない」「こういうことで悩んでいる」と質問をできる限り明確にして、アドバイスを求めるのが吉だと思います。

理想としては、「相手(先生方)が自分は何を求められているのかがちゃんとわかる」こと。質問を明確にして、相手にしてほしいことがわかるように伝えると、相手も困惑せずにすみます。(私もいまだに苦手ですが気をつけています)

ただし、メンタルがやられたなどで、もうどうにもうまくいかないときは、変に質問を明確にとか考えなくてもいいと思います。指導教官が信頼できる場合は、その思いをそのまま明かして、相談に乗ってもらうのでも良いと思います。
あくまで”研究”についての相談だったら、上記のように質問を明確にすることが大事だと思っています。

質問するときのポイント②:「なにがわからないのか自分でもわからない」ときは、”質問を明確にするための質問”を

質問をできる限り明確にと言っても、実際のところ、「何がわからないのか自分でもわからない」ことは多々あります。
漠然と知識が足りないことは分かっても、どの本を読めばその知識が補えるのかもよくわからない。

そんなときは、”質問を明確にするための質問”を考えてみたらいいのかなと思います。大事なのは、主体的に学ぶ姿勢を見せること。

「この問題(本、文章など)、全然わからないので教えてください」
 →「この問題、全く歯が立たなかったんですけれど、どんな知識が不足していると考えられますか?」「その知識を得るのにおすすめの教科書や本ってありますか?

足りない知識を自分で把握して、そうして自分で学習していく。それが理想ですし、最終的にはその状態に行き着くのかなと思います。
でも、何も知らずに知識の体系を自分の中に十分に築けていない状態で、”なにが今の自分に足りていないのか”をきちっと把握することは難しい。

だったら、勇気を出して、「自分に足りないものは何か」から先生方や先輩方に聞いてみるのも手です。(その結果、基礎の基礎まで戻ることになっても、めげずに取り組んでみるのがなんだかんだ一番近道だと思っています。)

質問するときのポイント③:絶対に知ったかぶりをしないこと

「ちょっとは知っています」「かじったことあります」
”こんなのも知らないんだ”って思われたくない一心でこういうことを言うと、その場では取り繕えても、絶対に損をします。

第一に、本当にその人にあったレベルの知識を提示することが難しくなります
往々にして、その分野のことをよく知っている人が謙遜で「いやあ、ちょっとかじったのですが」なんて言うことがあります。学生であっても、その事柄を十分に理解しているのに、”ちょっと”と言ったりする人は結構います。
”ちょっと”の度合いが、人によってものすごく異なるのです。
だから、「ああ、じゃあこれくらいは知っているだろう」と先生が思うことと、自分が持っている知識と同じレベルとは限らないのです。そうすると、せっかく助言をもらっても、理解の助けにはなりません。

第二に、信用を失います
知ったかぶりは、「何がわからないのかわかっていない」上に、「わからないことすらわかっていない」ともみなされます。
「ちょっとは知っているのですが……」と謙虚な振る舞いをみせて、それが本当の謙遜だったらよいのです(そうしてそういう人が大勢いるので、第一の話につながります)。そういう場合は謙遜だとわかります。
でも、「ちょっとも理解していない」も、一瞬でばれてしまいます。そうすると、「あ、自分で学ぶ姿勢がないのかな」と、信用を失ってしまいます。

わからないことは、素直にわからないと言う。難しくも大事な、鉄のおきてです。

「わからないけど、でも、こうじゃないかなあ」と自分で考えてみることはとってもいいこと。その場合は、「(わからないですが、)それはこういうことですか?」と言うとよいのかなと思います。仮にそれが違っていても、印象が上がることはあれど、下がることはないと思います。

さあ、サーベイの続きだ!でも、あれ?私が知りたいことって、もう全部やられてる!?:次の記事へ

先生方や先輩方に助言をもらって、さあサーベイの続きです。

意気揚々とおすすめされた文献を読んで、こんなこと思ったりしませんか。

「私が思った疑問や知りたいことって、もう全部やられてる!?」

こと社会科学は”私たちの日々の暮らし”にすごく近い学問です。
普通に学生として/社会人として暮らしていて、普通に「なんでだろう?」と思ったことをそのまま研究しようとすると、「大抵のことはもうやられている」という大きな壁にぶち当たります。

次回は、そんな「大抵のことがもうやられている」ようにみえる状況で、どう研究を進めていくかのお話し。
でもこれを読めば万事解決なTipsではなく(そんなものは残念ながらない)、あくまで”姿勢”的なお話しです。


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